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事務局より

2016-11-10 | 「私のドキュやま 大芋煮会 ―映画祭を語る―」報告

 「私のドキュやま 大芋煮会 ―映画祭を語る―」にご来場いただいた皆さま、多数のご意見、ご感想等ありがとうございました。合計5時間にわたるフリートークでしたが、当初想定した以上に活発な意見交換の場となり、私たち事務局も改めて気づかされることが多く、非常に有意義な時間となりました。まだ一度も山形映画祭を観たことがないという方、今回の企画のためにわざわざ東京から来てくれたボランティアさん、これまでは観るだけだったけど次からはボランティアもしてみようという方などなど、映画祭への関わり方もその深度も大きく異なる方々からのご意見によって、この山形で国際映画祭を開催することの意義を様々な視点から確認できたことは、次回2017年の映画祭を作る上でもとても参考になりました。地元山形の皆さんから全国の映画好きの皆さんまで、広く楽しめる挑戦的かつ実験的な山形映画祭であり続けられるよう、来年に向けた準備を進めてまいります。

(日下部克喜 山形事務局

 


2016-11-10 | 3.11映像記録のこれまで、これから 2016 〜 小さな物語の積み重ねから立ち上がるもの」報告

 年に一度の「311ドキュメンタリーフィルム・アーカイブ」主催の上映・ディスカッションセッションが無事終了しました。おかげさまで、肌寒い日曜の午後5時間近く、たくさんの方に来場いただきました。仙台、あるいは東京からはるばるいらしてくださった方もいて、継続して震災復興に関わる方々の心意気を感じました。

 『あの日を生きた私たち 〜 大学生が聴く震災体験』上映後、登壇者3名と制作した学生たちを交え、作品について議論。被災当事者から厳しい意見も出、議論を通して、震災の体験を他者に伝えること=分有そのものの難しさ、そして映像・視覚メディアの役割と限界について、深く考えさせられました。リアス・アーク美術館の山内宏泰さんからは、震災映像記録を見る際、それが「誰」に向けて作られた作品かを考えること、あるいは「誰」に向けて作った映画なのかを製作者はまず自身に問うこと、そして特に将来に向けての防災という側面では、フィクション、ノンフィクションの境を超えて、見る者の知覚・記憶に深く結びつく表現、語りが必要であることなど、重要な提言もいただきました。また郡山で被災者への聞き取りを行なっている鈴木美貴子さんからはいまだ福島からの情報発信・表象に偏りがあること、災害社会学者金菱清さんからは、そうした聞き取り調査、インタビューでは聞く側の力が大きく問われること、また幽霊現象や夢のような、公の言説では捨象されがちな被災者の意識や感覚について継続して注目する必要がある、など貴重なお話も伺いました。

 翻って、映像アーカイブとは誰に向けて、何をどう伝えていくべき存在なのか。今後もこうしたさまざまな分野の方々からお話を聴く機会を設け、皆さんと深く考えていければと願っています。

(畑あゆみ 山形事務局