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彼はビデオカメラを片手に世界各地へ飛ぶ。彼の芸術生活のいわば精神的拠点であるパリへ、永遠の生命、人生に対する別の価値観を求めて半信半疑ながらもチベット、ブータンへ、生への希望・再生を求めてブルキナファソへ、最先端の医療のためにニューヨークへ、さらに回顧展のためにリオ、サンフランシスコへと。一般にドキュメンタリーの質は、作家の対象との距離のとり方で決まるといってもいいが、特にコイケンの場合、異郷に身を置くことで生じるその場や対象と自分との距離の測り方に彼の表現の本質がある。今回の作品でも自分の内の混乱を、自分の外、つまり世界の混乱の中で再構築する。地上はどこも問題を抱えている。彼は空を浮遊し、美しい地表を見る。現実の貧困も、飢餓も見えない。もはや、彼には落下死への恐怖心もない。 こうして映画は彼の愛の対象を検証し、死への、そして生への巡礼となった。 12年前の第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加した人たちのうち、私が知る限り9人がこの世を去っている。そのとき『井戸の上の眼』で日本に初めて紹介されたコイケンもそのひとりとなった。 写真家でもある彼は、映画と写真、ドキュメンタリーとフィクションの区分を超えて自在に作品を作ってきた。いつもは出演しない彼だが、この映画では主人公として登場する。カメラはやがて別れがきて残されることになる友人、家族を、そして録音担当で30年連れ添った妻、ノシュカを愛おしむ。いろいろな局面でカメラがとらえたノシュカ、そしてカメラ(ヨハン)を見つめるノシュカは、あるいは愛らしく楽し気、あるいは淋しそうで憂いに満ち、いずれもドキリとするほど美しい。 彼は、自身の時空間を創り出し、その空気の中を自由に旅してきた。私は、こうした作品を残してくれたことを彼に感謝し、空気の先にある精神に想いを馳せるばかりである。 冨田三起子
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