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    記憶の足音

    The Sound of Footsteps on the Pavement
    Waq'o akdamin aala hijarat al rassif

    - レバノン/2004/アラビア語、フランス語、英語/カラー/ビデオ/52分

    監督、脚本、編集、製作:レイン・ミトリ
    撮影:レイン・ミトリ、ラーミ・サッバーグ
    録音:ビーサーン・クムスィーエ
    提供:レイン・ミトリ

    ハムラ通り、1969年から30年以上ベイルートと共にあったモッカ・カフェが取り壊される。街の記憶を体現しているカフェを遺そうと、無力の闘いを挑む若者たちの姿からは、「社会運動」への渇望、疑似体験がみえる。既存のビデオ・アクティヴィズムに抵抗を試みるカメラは彼らと共に、新しく建った量販店の蛍光灯を浴び、街のアイデンティティをカフェの運命に重ね合わせる。様々な集団的記憶を呼びさますドキュメンタリー・エッセイ。



    【監督のことば】まず、どの国でも日々繰り返されている物語。街の思い出の中核となる場所が消えて、新しくショッピングセンターに生まれ変わっていく。

     次にイメージ。かくして同じイメージがどの場所でも繰り返されることになる。自分の大切なもの、自分の居場所、自分の思い出を守るためにたたかう活動家たちの映像。

     使い古されたイメージのドキュメンタリーにならないためにはどうすればいいのか? どうすればビデオ・アクティヴィズムの先へ行けるのか?

     映像のニュース性が消えるのを待つため、モッカ・カフェの閉店と前後して起きたあれこれの出来事から1年の歳月を必要とした。

     政治的側面をしてこの作品が教訓的映画であるということはない。なぜなら、エキサイティングな暮らしと荒廃、昼間の団結と夜の疎外感、決意と諦め、厳粛さとブラックユーモア、交錯するそれぞれのイメージからにおい立つ詩的情感が、政治性の横に溢れているからだ。結果として、この作品は喪失感と無力感にさらされた、ノスタルジアと癒されることのない悲しみを持つエッセイになった。

     今日、再建/破壊は街や人々の思い出から引き裂かれることを意味する。それは人々の周縁化と分断なのだ。


    - レイン・ミトリ

    1970年、レバノン生まれ。ビジネス・マネジメントを学ぶ。ドキュメンタリー製作の他、映画評のライター、シネマクラブのプログラマーや映画祭のオーガナイザーとして活躍。2000年からはドキュメンタリー映画のワークショップに参加し、フランス国立映画学校の夏季スクールでは、初のドキュメンタリー・エッセイ『A propos de la poire』を完成。現在はレバノン映画財団に勤務、ドキュデイズ――ベイルート国際ドキュメンタリー祭の実行委員でもある。監督作にエジプト・ドキュメンタリー映画製作者協会によるアラブ・ドキュメンタリー短編優秀作フサーム・アリ賞に輝いた『Querido』(2003)がある。