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高木隆太郎 追悼

YIDFF 2017 クロージング作品
表現に力ありや 「水俣」プロデューサー、語る

The Power of Expression: The Minamata Producer Speaks

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日本/2016/日本語/カラー/Blu-ray/100分

監督:井上実、片岡希
撮影:中井正義、桂俊太郎
編集:石井香奈江
ナレーション:井上実
製作:村山英世、桂俊太郎
製作会社、配給:記録映画保存センター

水俣病を世界に知らしめることに貢献した土本典昭監督の水俣シリーズの製作を多数手がけた高木隆太郎が、自らのプロデューサー人生を語る。小川紳介、土本典昭、東陽一らが在籍した時代の岩波映画でプロデューサーとして活躍するも、自由に記録映画を作りたいと東プロダクションに参加した高木。郷里熊本で起きていた水俣病についての企画に携わるなか、高木流の映画製作を展開し、多大な借金を背負いながらも継続を可能にした気骨ある精神が、水俣シリーズなどの映像や東、石牟礼道子ら関係者らのインタビューを織り交ぜながら示される。不知火海への憧れと葛藤が、輝きと苦みを残す。



【監督のことば】

 高木隆太郎様

 昨年末のお見舞い以来、大変ご無沙汰いたしております。新しい環境はいかがでしょうか。桂俊太郎さんとは、もうお会いできましたでしょうか。

 実はこの作品の企画にあたり、高木さんがこの映画祭を訪れ、「表現に力ありや」と、上映される様々な作品に向き合う、というようなエンディングを私は構想していたのです。高木さんが青林舎から身を引かれて、30年近い時が経過していました。土本さん、東さんと対等に渡り合い、今なお、現世を揺るがす力を持つ「水俣」シリーズのプロデューサーだった高木さんの現在を張力をもって描くための、私なりの妄想でした。

 ところが、インタビューをしてみれば、私の妄想など全く必要のない話の冴えでした。立て板に水のごとく、すらすらと出てくる製作秘話。プロデューサーとしての理念、信念。仲間たちへの敬意。個人的な事柄になると、すっとぼけたり、韜晦的になったり。拙い質問や論点には、ピシャリと厳しく返されました。

 高木さんのみならず、この作品に証言者として登場いただいた方たちの言葉はみな魅力的でした。言葉と連動して目の力、呼吸、心の込め方が証言にリアリティと体温を感じさせてくれる。改めて、水俣に関わった方たちの熱量を実感することができました。

 山形での上映が決まり、高木さんが常世の海からいっとき離れて会場にお見えになれば、私の妄想はちょっぴり現実化したことになります。桂さんにもお声がけくだされば嬉しいです。再会を楽しみにしております。

2017年盛夏 井上実拝


- 高木隆太郎

1932年熊本県生まれ。1960年、岩波映画製作所に入社。プロデューサー2作目の『スピード・トライアル』で日本産業映画大賞を受賞したが、1968年、「借金で映画をつくり、映画で借金を返す」をモットーに、東陽一と『沖縄列島』を製作するため退社。劇映画『やさしいにっぽん人』『日本妖怪伝サトリ』を製作する。1971年には、土本典昭とともに、水俣病を告発した『水俣 ― 患者さんとその世界』を完成、自主上映で全国展開する。その後、水俣病を告発する記録映画を11本製作。ドキュメンタリー映画の力で水俣病を全国的に知らしめた。


- 井上実

1965年生まれ。10代の頃から記録映画の自主上映運動に参加。幻燈社を経てフリー。犬童一心、松川八洲雄氏らの作品スタッフに加わりながら劇、CM、記録映画の区分なく演出を学ぶ。『NON岡本太郎の庭』(1992)で初演出。主に企業PR、社会教育、文化記録の短編映画で作品を重ねる。近年の演出作品に『佐賀錦 ― 古賀フミのわざ』(2016)などがある。



- 片岡希

1977年生まれ。早稲田大学大学院GITS修了。1999年、北京映画学院監督学部に留学。『ヨコハマメリー』(中村高寛監督、2005)ではプロデューサーを務める。主な演出作品に『中華学校の子どもたち』(2008)、『鬼来迎』(2014)など。