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YIDFF 2005 インターナショナル・コンペティション
ジャスティス
マリア・アウグスタ・ラモス 監督インタビュー

観客自身が結論づけられるようにしたかった


Q: 監督はたくさんの映画祭を経験されているようですが、観客の反応はそれぞれの国で違うものですか?

MAR: この作品はブラジルでも公開されたわけですが、言葉も内容もあちらではダイレクトに観客に伝わるので、そのような意味では観客の反応はやはり違うと言っていいでしょう。ただ、どこの国でも好印象で迎えられたという点では一緒でした。

Q: 裁判所のリサーチから、なぜ刑務所を撮ろうと考えたのですか?

MAR: 個々のケースを見ていくうちに、そこにある人々のドラマにとても興味を惹かれたからです。ブラジルにおいて裁判所というのは、人々の関わり合いやその背景にある生活など、人々の現実を垣間見ることができる、中心的な場所です。

Q: 出演者はどのようにして選出したのですか?

MAR: 裁判所というのは、撮影に非常に厳しい規制がある場所で、そこで顔を映すには一人ひとりの許可をとる必要がありました。そのためにまず、撮影に協力してくれるふたりの判事を選出しました。その後、それぞれの判事が持つケースにあたっていき、面白いと思ったケースをとりあげていく中で彼らにいき着きました。はじめから彼らを選んだわけではなく、撮影していくうちに、彼らの中に入っていくことによって、性格などを見極めながら選んでいきました。最初に登場する男性の判事などは、非常に協力的でした。2番目に登場した妻子を持つエドアルドは、とても正直者で、彼の母親も気に入ったので、足を運んで家族を撮影しました。3人のメインキャラクターを決めてから、撮影と編集で6カ月かかりました。

Q: 判事にも被告人たちにも、同じような撮影の距離感を感じたのですが、監督はいつもこのような距離感で撮影するのですか?

MAR: 私は、判事と被告の間で、ニュートラルな立場をとったつもりではありません。どちらか一方に肩入れすることで、観客の気持ちを操縦することは避けたかったのです。彼ら被告が有罪であるか無罪であるか、あるいはこの現実が良いものか悪いものかは、観客自身が結論づけられるようにしたかったのです。ただ、もちろん、どんな映画も完全にニュートラルではありません。これは私自身の、リオという町の現実についての作品です。なぜなら、私が出演者を選出し、シーンを編集したからです。だから、相手に対していつも距離を置いて撮っています。特にこの作品は、人を裁くことに関する映画であり、裁かれる前と後の気持ちを取り扱ったものなので気を使いました。私はただ、判事とはこういうものである、犯罪を犯す若者がこうであるといったような、ステレオタイプを撮ることは避けたかったのです。判事も被告もひとりの人間として捉えました。また、作品内に現れる貧困も、それを意図して撮ったわけではなく、結果として現れた現実なのです。刑務所の中にいる人の、およそ80%が出演者たちのような若い男性です。このような背景には、現在のブラジルの司法制度が結局は、貧困と権力をさらに再生産しているという現実があると考えます。

(採録・構成:佐藤久美子)

インタビュアー:佐藤久美子、中嶋麻美/通訳:斉藤新子
写真撮影:村山秀明/ビデオ撮影:高橋美雪/ 2005-10-10