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YIDFF 2009 インターナショナル・コンペティション
稲妻の証言
アマル・カンワル 監督インタビュー

性暴力を理解すること


Q: 映画のところどころで出てきた窓のシーンには、どのような意図があるのでしょうか?

AK: 私は「性暴力」というテーマを理解するため、たくさんの人に会って話を聞こうとしました。けれど、テーマがテーマだけあって、話をしたくない人もたくさんいます。会って話しはじめるのですが、やっぱり語りたくない部分に来ると、沈黙してしまうのです。窓は、その窓から見えたことを象徴的に語ってくれます。家の中で何が起きたのかということを、言葉で表わさなくても、窓が媒体となって語ってくれるのです。本当は、何が起こっているかというのは、この窓の中に隠されているのです。こういったむごいテーマの内容は、なかなか語れないので、映画の中ではいろいろなイメージを使っています。その結果、物語が象徴的に語られているのです。

Q: この映画のテーマというのは、前々から温められていたそうですが、そのきっかけとなった出来事はありますか?

AK: 実際にグジャラート州で、反イスラム教徒に対しての性的な暴力が、一般的に行われているというニュースが流れてきました。そこには怒りが溢れていました。みんなが慌てふためき、カオス状態になっていたのです。人々は、性暴力のニュースを聞き、また自分の住んでいるところで起きている性暴力を、実際に目の前で見たために、おかしくなっていきました。性暴力を犯した人たちが、自分たちの行動を祝福していることも、私には理解できませんでした。

 そこで、徹底的に理解するために、「性暴力」というテーマに取り組むことにしました。女性に対する性暴力を受け入れてしまうことは、インドという国にも私たち人間にも、本当に大きな深刻な問題だと思ったのです。

Q: 加害者に位置する男性として、女性に対する性暴力というテーマで、映画を作ることにためらいはありませんでしたか?

AK: 私はためらいは感じませんでした。逆に、男性として「性暴力」をテーマにした映画を作るべきだと思いました。この映画を作っている時は、「自分は男性なんだ」ということを非常に意識しました。一緒に映画を作っていた人たちも、「男性」ということを非常に強く感じていたと思います。映画を作っている間、自分に対しての問いかけもあったし、その中で自分をより深く知るということも実現できました。自分は本当にひとりの人間として存在するんだなということを感じました。

 私は、この映画の中の苦しみを受けた人々と同じ苦しみを受けた人間ではありません。本当に心が裂けてボロボロになっている人たちと、同じ気持ちでそこにいたわけでも、映画を作っていたわけでもありません。けれども、この映画を2〜3年かけて作る間、制作のための下調べでも、制作中でも本当にいろんなことを学びました。いろんな場所に行き、たくさんの人と会話して学びました。最初に学んだことを次に会った人に全部伝え、また次に会った人から学んだものを、さらにその次の人へと伝えていきました。私が理解したことを、行く先々で繰り返し共有したのです。人と話すことで、より理解が深まっていきました。この映画ではそのプロセスがすべて表現されているのです。

(採録・構成:木室志穂)

インタビュアー:木室志穂、林祥子/通訳:平野加奈江
写真撮影:野村征宏/ビデオ撮影:一柳沙由理/2009-10-11