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  • 審査員
    崔洋一


    -●審査員のことば

     フィクション、もしくはある種の虚構に生きる物語を作ることを仕事とする者としては、虚構の上に虚構を重ね、なおかつ、重ね、それでもって“真実”とする想像に溺れていくのは当然の理か。

     若き日、時代のうねりに身を託し、新しい世界の誕生と古い枠組みの崩壊を見果てぬ夢ではなく、現実の時間と信じていたころ、反抗の前線を映すフィルムはすべてニュースであり、プロパガンダであった。

     個人史をひも解けば、空気=感情が入らない、もしくは鼓舞されないニュースとプロパガンダは悪い情報であり、極めて初歩的な感情形成に寄与する“現実感”というあやふやな意に叶うニュースとプロパガンダは良い情報、ということになる。この未成熟の感情の組織化こそ“私のメディア”として機能したときニュースとプロパガンダは脆弱な構造をさらけ出す。これが、消費というご都合主義に至るのにさして時を必要としないのは世界の変化を見れば良く理解できることだ。

     巨大なメディアの塊が世界の一元化への道を指し示している。はっきりと言ってしまえばこれほど不愉快で気持ちの悪いものはない。

     メディアの多様化がもたらした大量の情報源は同時に選択の不自由をもたらしていないのか。「イラク戦争」を見るまでも無く、メディアがリアルタイムで発信しつづけるニュースは、まるで、遙か彼方の別世界の出来事のように虚構と真実の見極めさえつかない意図として、我々は享受していないだろうか。

     自省などしても意味は無いかも知れないが、この状況が不変なこととしてまかり通るのなら、例え同床異夢と批判されても“私のメディア”としての“真実”は創出されるべきだろう。
    これは、私世界のある種の先祖帰りだろう。虚構を生産する映画監督としては幼稚に過ぎるかも知れないが、鈍感に一元化に委ねる楽さ、つまり送り手の一方的、受け手の一方的というシステムに身を委ねるということを否定したいのだ。

     現実と虚構の被膜にカメラをどっしりと置き、もしくは、撮影行為を連続することで非対象の自身すらも対象化に位置づけ、深化する視点にこだわり、記憶装置の深部に進む者たちを断固として支持したい。


    1949年、長野県生まれ。大島渚監督や村川透監督などの助監督を経て、『十階のモスキート』(1983)で監督デビュー。同作はヴェネチア国際映画祭に出品されるなど話題となる。以後、『いつか誰かが殺される』(1984)、『友よ、静かに瞑れ』(1985)、『Aサインデイズ』(1989)、53もの賞を受賞した『月はどっちに出ている』(1993)、『平成無責任一家 東京デラックス』(1995)、『犬、走る DOG RACE』(1998)などを発表。1996年には韓国の延世大学語学堂に留学。韓国の近代映画史の研究をしながら多くの韓国映画人と交流を図る。近年も『刑務所の中』(2002)、『クイール』(2004)、『血と骨』(2004)など話題作を発表し続けている。


    月はどっちに出ている

    All Under the Moon

    - 日本/1993/日本語/カラー/35mm(1:1.85)/109分

    監督:崔洋一
    原作:梁石日『タクシー狂躁曲』
    脚本:鄭義信、崔洋一 撮影:藤澤順一
    音楽: 佐久間正英 美術: 今村力、岡村匡一
    出演:岸谷五朗、ルビー・モレノ、絵沢崩子
    製作:李鳳宇、青木勝彦 
    提供:シネカノン、国際交流基金
    製作会社:シネカノン

    在日コリアンのタクシードライバー姜忠男の周囲では悲劇とも喜劇ともつかない事件が毎日のように起きている。忠男はふとしたことで知り合った生意気なフィリピーナを口説き落とすが、その恋もまた迷走。在日二世の監督が初めて自ら在日を取り上げ、日本映画界に大旋風を巻き起こした傑作。