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[日本]

東北おんばのうた ― つなみの浜辺で

Songs Still Sung: Voices from the Tsunami Shores

- 日本/2020/日本語/カラー/デジタル・ファイル/80分

監督、撮影、編集:鈴木余位
出演:今野スミノ、三浦不二子、岩渕綾子、金野孝子、斎藤陽子、新井高子
企画、製作:新井高子
協力:中村祥子、今野オワ子、樋口良澄
題字:榎本了壱
英語字幕:ケンダル・ハイツマン + アイオワ大学「日本文学翻訳演習」受講学生
提供:「東北おんばのうた」製作委員会
広報:ミて・プレス  www.mi-te-press.net/film/

岩手県大船渡に生きるおんばたちの言葉を詩人 新井高子が聞いていく。幼少時の戦争の記憶、大船渡を三度襲った大津波の記憶。海とともに暮らしてきたおんばたちはその彫心鏤骨の経験を詠い、語る。そのひとつひとつの言葉が力強い。石川啄木の短歌やおんばたち自身による詩歌が土地ことばのケセン語で読み上げられると、聞く者の脳裏に歴史や感情の幾重もの層が立ちどころに表れる。過去と現在、歌と言葉の多重奏。(IT)



【監督のことば】この映画のそもそものきっかけは『東北おんば訳 石川啄木のうた』(新井高子編著、未來社)という本でした。新井さんに声をかけられ初めて大船渡を訪れてから約2年を経て、「おんば訳」は「おんばのうた」に、「石川啄木」は「おんば」となった。この主体の変化、そこに内包される時間そのものが、この映画の根幹だと思っています。

 決して「震災映画」をつくるつもりはありませんでした。あけすけに言えば、映画にするつもりもなかった。それでも、記録のための聞き取りは人生の朗読としてフレームに常に響いていた。2011年の大震災からの10年、いやもっと遥か昔からの生々しく、生き継がれた大きな時間が5人のおんばの声と姿に翻訳されていく。聞こえてくるように映ってくる。感情を煽るような切り取りや、なにかを掴みにかかるような振る舞いは極力避けたかった。撮るというより映したかった。おんばのいない景色さえおんば訳されていくように見えてきた時、できるかもと思った。映画をおんば訳する。

 声を映やした土地に生き続けたおんばたちの語りは、人生をおんば訳して翻り、朗読となり全身でうたとなる。たゆたう波でありながら、懐深い入り江でもあるように。

 そしてまた、それらを見て聴き続けていくこと。記録は常に今にあり、継承にとどまらない翻訳にこそアーカイブのもうひとつの地平を想う。主役は常に翻訳される。それはおんばたちの大好きなお茶っこにとてもよく似ている。やはり映画ではなくお茶会なのかもしれない。話す人も見る人も、いつのまにか翻る、このバイリンガルな浜辺に同席してほしい。この映画の詩心をそんな場所に置き、そうであってほしいと思っています。


- 鈴木余位

多摩美術大学在学中『はながないたらパリがくる』(2000)で、ぴあフィルムフェスティバル審査員特別賞受賞。2014−15年には文化庁の新進芸術家海外研修制度によりアメリカ、トルコを放浪。近年は、自身の表現の出自である詩と、映画の交感の坩堝へと歩きはじめている。近作に『フィルム石磨きフィルム石置き去り』(2012、オブジェ+朗読)、『怪物君』(2013、詩稿映画化)などがあり、「MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影」にも出展。詩人 吉増剛造や、画家 石田尚志などとの領域を横断した恊働・共作もあり、ゾーンや方法を変幻する固有な表現を展開している。