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[フィリピン、アメリカ]

太陽の子

Anak Araw

- フィリピン、アメリカ/2012/フィリピン語、英語/モノクロ/Blu-ray/64分

監督、脚本:ジム・ランベーラ
撮影:ダニロ・サラス III
編集:ジェット・ライコ、ジム・ランベーラ
音楽:モキ・マクフライ、Banda 24
音響:モキ・マクフライ
エグゼクティブ・プロデューサー:ロナルド・アーギレス
提供:Creative Programs, Inc. (CPI)

自分はアメリカ人の子だと信じるアルビノのフィリピン人青年が、タガログ・英語辞典を手がかりに、アメリカの言葉を手に入れようとする。湖でサメが泳ぎ回り、山が火を吹き、死者が蘇る。カーラジオからはナット・キング・コールが歌うタガログ語のラヴソング。夢のような不可解な出来事は、自国フィリピンのアイデンティティを探る旅でもある。モノクロ・フィルムで映画の向こうへと漕ぎ出した“太陽の子”の奇想天外な冒険物語。



【監督のことば】植民地の幻想は、あるフィリピーノとその家族の歴史に深く根を下ろしている。それは人のアイデンティティに重くのしかかり、同時にその一部でもある。この二面性は植民地化によるものだけでなく、工業化と都市化によってももたらされており、そこでは状況の粗暴な変化が生活のリズムや体験を二面性へと引き裂いていく。

 僕は小さな町で育った。アルビノの人がいて、肌の色から皆、彼のことをカーノ(=アメリカ人)と呼んでいた。僕の父は当時アメリカで働いていて、父がウチに帰ってくるとき、お土産の入った箱を沢山携えていたことを記憶している。僕はこの舶来品の箱の匂いを覚えている。それは、僕らがアメリカの匂いと呼んだものだった。一度、その箱のなかに、白人女性の裸の写真入りの雑誌があるのを見たことがある。

 学校に行けるような年頃になって、僕は英語を習った。家族との夕食の食卓で「プリーズ・ギブ・ミー・ザ・ライス」と言ったことを覚えている。彼らは理解し、僕にご飯をくれた。以来両親は、彼らの若い息子は英会話ができると皆に吹聴してきた。

 それは事実と全く違っていて、僕は英語を自由自在に喋れぬまま育ってきた。実際、僕がフィリピーノの言葉で書いたこの文章を、いま皆さんが理解できるような言葉にするにも、英語の翻訳者の助けが必要だった。

 こうした記憶は脳裏に焼きついていて、僕を煩わせる。なぜなら、僕は英語がよきものとされ、白い肌が理想とされる場所にいるからだ。

 色々な意味で、僕は二面性を帯びたフィリピーノだ。バタンガス州に生まれ、いまは準国際都市のマニラに住んでいる。これは僕自身の葛藤であり、のどに刺さったトゲのようでもある。都会の喧噪のなかでも郷愁の想いは消えないのだ。


- ジム・ランベーラ

バタンガスの、真ん中に火山がある湖に近い古風な町に生まれる。彼は冷蔵庫が棺でもあり、バナナの木が美女でもあると信じて育った。現在、マニラと生地バタンガスの間を往復している。故郷バタンガスとの繋がりの深さは、最初の短編『Dahil Sa 'Yo』(2010)から、全編フィルムで撮影された2本の長編映画、『Taglish』(2012)および本作まで、すべての映画に一貫している。