english
YIDFF 2009 インターナショナル・コンペティション
忘却
エディ・ホニグマン 監督インタビュー

生き延びる人、生き延びること


Q: この作品を観て、リマで生活する人々の日常の幸せを感じました。でも、靴磨きの少年は私をせつない気持ちにさせました。生きるうえで、夢を持てることは幸せなことだと感じましたが、監督の考える幸せとは、どのようなものですか?

HH: 私のすべての作品は、おっしゃる通りの幸せの定義を持っていると思います。基本的に、私の作品は生き延びる人、あるいは、生き延びることについての映画ですので、ほとんどの登場人物は夢を持つことを忘れていません。希望を見出せる人たちに、なんらかの明かりが照らされているとするなら、その反対は、忘れられた忘却の状態です。この作品は、それらふたつの状況を行き来しています。残念ながら、靴磨きの少年は夢を持てなくて、影の中にずっと残ってしまっていますが、ほとんどの登場人物は、影の中から明かりのある方へ動こうとしています。

 この作品は、夜、路上で、アクロバティックなことをしている姉妹の映像で終わりますが、それは決して、暗闇で終わるという意味ではなくて、その中でも、一所懸命に幸せを探し出している姉妹の映像で終わりたい、と思ったのです。

 もうひとつ言えることは、完全なる幸せは存在しないということです。現実に向き合って、自分の持っているものと持っていないもの、手に入るものと入らないもの、夢を見ることと見られないこと、それらのバランスをうまく見出すことで、初めて幸せが見つかるのではないでしょうか。

Q: 映画の終わりに「良き友ホセ・ワタナベに捧ぐ」というテロップがありますが、それを前提に、この作品を作り始めたのでしょうか?

HH: ホセ・ワタナベさんはきっかけではないけれど、彼の詩はこの作品に大きく貢献しています。特に、作品の中で紹介している詩がそうです。雄牛の背で、牛を苦しめる幼虫を食べる鳥がでてきます。それらの関係というのは一種の依存性と呼べるかもしれないけれども、なにかやわらかな、お互いのために何かをする、という取引もそこにあります。そのような、お互いの依存性と取引による幸せもあるということは、とても興味深いです。

 実際の制作のきっかけは、映画の中に登場する給仕です。私が、母親に会うために故郷のリマに戻ったとき、高級レストランに行きました。そこで、たまたま付いた給仕の顔に見覚えがありました。「このレストランで随分長いこと働いているの」と聞いたところ、「30年から40年くらい働いている」という返事でした。そして、この映画を撮るきっかけとなった質問をしたのです。「30年も40年もここで働いているということは、この国の中であった、クーデターやいろいろな政治の腐敗すべてを見てきたのでしょうね」と。彼は「たくさんのお話があるよ」と言いました。

 その時、私には映画的なアイディアが浮かびました。つまり、その給仕やバーテンダー、店員や子どもたちなどを通して、何かが見出せるのではないかと思ったのです。ひとつ頭に浮かんだのが、ペルーで有名な、小説のタイトル『話せない人の世界』でした。普通は、貧乏な人々が題材に適しているとは考えにくいです。しかし逆に、貧乏な人々は、非常に多くのものを見てきているので、取材対象としておもしろいのではないかと思いました。彼らの歴史の記憶というものが興味深くて、取材をしたいと思ったのです。

(採録・構成:村山美保)

インタビュアー:村山美保、石川宗孝/通訳:後藤太郎
写真撮影:ローラ・ターリー/ビデオ撮影:蕭淑憶(シャオ・シューイー)/2009-10-09