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    Oblivion
    El Olvido

    - オランダ、ドイツ/2008/スペイン語/カラー/ビデオ/93分

    監督、脚本:エディ・ホニグマン
    協力:ユーディット・ヴレーリックス、ソニア・ゴールデンベルグ
    編集:ダニエル・ダニエル、イェシカ・デコーニング
    撮影:アドリ・スホーヴェル(NSC)
    録音:ピオトル・ヴァンダイク
    製作:カルメン・コボス
    製作会社:コボス・フィルムズ BV
    配給:フィルムズ・トランジット・インターナショナル

    ペルーの首都リマに生きる老バーテンダー、高級レストラン給仕や革職人、路上パフォーマンスで日銭を稼ぐ若者や子どもたち。歴代の大統領就任式の様子と交差しながら、バーテンダーの作るカクテルや大道芸人たちの小道具、記憶力をよくするカエルジュースなど彼らが作りだす産物と語る言葉の数々が手厚くちりばめられる。経済的に、政治的に困難な状況を生き続けるために人々が忘れていること、忘れえないことに耳を傾け、丹念に編まれた『忘却』という一編の詩は慈しみに溢れている。



    【監督のことば】もしペルーの首都リマが塵に覆われていたとしたら、そこは存在しないことになってしまう。そうではないのにリマは殆ど誰にも気づかれない都市であり、数世紀の間支配者に騙され、無視され続けてきた住民たちに対しても思いが寄せられることはまずない。

     『忘却』においてリマは近海や山が墓地と化しているラテン・アメリカにある全ての都市を象徴している。路上、酒場、病院に、家の周りにも恐怖は遍在しているのに、この国のことは決して「ホット・ニュース」にはならない。

     私は、ほとんどの作品で、回想というテーマを繰り返してきた。『忘却』では、この忘れられた都市とそこに暮らす人々を詩的に祝福したかった。

     数年前、ある高級レストランの給仕人が、私の故郷リマを再発見するインスピレーションとなった。彼は微笑むことで屈辱や困難をくぐり抜けてきたと語った。圧制する階級を心の中で小馬鹿にすることでなんとかやってきた人々もいる。路上でアクロバットを披露し、運転席の人々を楽しませて小銭を得て生き延びてきた人々もいる。

     登場人物たちは皆一流の演技者である。彼らの多くは美術館に足を踏み入れたことも、マルセル・プルーストやマリア・カラスなどの名を耳にしたこともない。しかし、『忘却』で出会う人々は生まれながらの詩人だ。

     『忘却』は、声を張り上げずに、囁きかける。 悲しみにむせび泣くのではなく、ただ涙を流す。『忘却』は、忘れられた都市の上に広がる空を、鳥のように飛び、停まり、周りを見渡し、語り、話を聞き、再び飛び去っていく。そして、最後にあの若者が完璧なバランスを保って操るクリスタルの玉となり、匿名性に抗う。


    - エディ・ホニグマン

    1951年、ペルーのリマ生まれ。ローマで映画制作を学んだ後、1978年よりオランダに在住し活動。作品からは政治的な不満が地下鉄の振動音のように轟々と聞こえてくるが、社会的格差を声高に激しく非難することには特に強い関心を持っていない。劇映画とドキュメンタリーの短編、長編作品を制作し、それらはトロント、ニューヨーク(近代美術館)、パリ、ベルリン、ミネアポリス、バルセロナ、マドリッド、バレンシア、オンタリオ、ユトレヒト、グラーツ、シカゴ、バークレーなど世界中で上映され、数々の賞を受賞。『メタル&メランコリー』(1993)がYIDFF '95で山形市長賞を、『アンダーグラウンド・オーケストラ』(1998)はYIDFF '99で審査員特別賞を受賞。YIDFF 2001で『クレイジー』(1999)が上映された。