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工藤充追悼

絵を描く子どもたち 〜兒童画を理解するために〜

Children Who Draw Pictures

- 日本/1956/日本語/パートカラー/16mm(原版:35mm)/38分

製作:小口禎三
演出、脚本:羽仁進
撮影:小村静夫
録音:桜井善一郎
製作会社:岩波映画製作所
提供:岩波映像、国際交流基金

文部省時代の工藤充担当の『教室の子供たち』に続き、再び羽仁進監督と組んで、岩波映画作品として作り上げた。東京の小学1年生の教室にカメラを持ち込み、10ヶ月間かけて図画の時間の子どもたちののびのびとふるまう姿を記録した。劇場公開もされて、その年のキネマ旬報短編映画ベストテン1位を獲得した。



薄墨の桜

The Cherry Tree with Gray Blossoms

- 日本/1977/日本語/カラー/16mm/43分

製作:工藤充
監督、脚本:羽田澄子
撮影:西尾清、瀬川順一、若林洋光
録音:片山幹男
編集:加納宗子
語り:香椎くに子
ギター演奏:岩崎光治
製作会社:自由工房
提供:国際交流基金

岐阜県根尾村の山中にある、樹齢1400年余といわれる巨大な桜の樹。この桜の四季を見せながら、その樹にまつわる物語が語られていく。春が来ると、観光客がやってきて、静かな村が騒がしくなってくる。岩波映画で美術映画や社会教育映画を作っていた羽田澄子が、工藤充プロデュースのもと完成させた初の自主製作作品。



 私が工藤を知ったのは、羽仁進さんの作品『教室の子供たち』の助監督を務めた時のこと。これは文部省の企画で、映画各社が提出した脚本を検討し、製作会社を選ぶシステムでした。岩波映画から出されたのは羽仁さんの脚本でしたが、それは他社のものと違い、羽仁さんの目論見を書いたペラ2枚ほどのものでした。この作品の製作を担当していたのは、視聴覚教育課の工藤で、彼が選んだのはペラ2枚の羽仁さんのものでした。こうして生まれた『教室の子供たち』は、記録映画の新しい世界を拓いた画期的な作品となったのです。これが契機となって、工藤は羽仁さんの次作『絵を描く子どもたち』のプロデュースを始め、文部省を退官、映画の世界に入ったのでした。岩波映画で2年間、羽仁さんや私の作品のプロデュースをし、その後、映画やコマーシャルを製作する藤プロダクションを設立。私が工藤と結婚したのは、この頃でした。しかし私は岩波映画で仕事をしていて、彼とは15年ほど仕事をしていませんでした。彼と仕事をするきっかけとなったのが『薄墨の桜』です。岩波映画の仕事が忙しい時でしたが、一本の桜の古木にひかれた私は、仕事の合間に撮りつづけ、40分ほどの作品を4年あまりかけて作りあげました。この製作のため、資金やスタッフを調整してくれたのが工藤でした。この後、岩波映画を停年退職した私は、彼のプロデュースのおかげで、80歳をすぎても、作りたい作品を作りつづけることができたのでした。

羽田澄子


- 工藤充

1924年生まれ。1946年に文部省に入省。社会教育局に勤務、後に社会教育映画の製作に携わる。1956年から岩波映画製作所で映画の企画・製作を担当する。1958年からフリーのプロデューサーとして、映画の企画・製作・脚本に関わり、藤プロダクションを設立し、記録映画や産業映画、TVコマーシャルを製作する。 1970年には大阪の万博博覧会で「せんい館」のプロデュースを務めた。1981年に自由工房を設立し、羽田澄子監督作品を中心に製作を続け、2014年逝去。主なプロデュース作品に、『教室の子供たち』(1954)、『絵を描く子どもたち』(1956)、『留学生チュア スイ リン』(1965)、『母たち』(1967)、『薔薇の葬列』(1969)、『薄墨の桜』(1977)、『早池峰の賦』(1982)『安心して老いるために』(1990)、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』(1991〜94)、『山中常盤』(2004)、『そしてAKIKOは… 〜あるダンサーの肖像〜』(2012)。