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Docbox Books


嘘、とんでもない嘘、そしてドキュメンタリー

ブライアン・ウィンストン著/ロンドン、ブリティッシュ・フィルム・インスティテュート/2000年/英語
Brian Winston. Lies, Damn Lies and Documentaries
London: British Film Institute, 2000. ISBN: 0-85170-797-1

評者:ケース・バカー

 考えうるなかでは最も心をそそるタイトルの1つを掲げて、ブライアン・ウィンストンはドキュメンタリーのある議論を発している。それはある意味、英国における特定の局面の事例研究なのだが、ドキュメンタリー倫理に関するより一般的な課題・論題へと慎重に展開されている。この本は“嘘”と“とんでもない嘘”の違い、このニ者の薄い境界線、そしてこの境界線がどのように引かれてきたか、引かれうるか、引かれるべきかについて論じている。キーワードとしては、“表現の自由”“規制”“責任”そしてこれら用語を踏まえたドキュメンタリー作家及びテレビの役割、法と規制者が挙げられる。

 ことの始まりは1998年からの、ウィンストンが言うところの「偉大なる英国ドキュメンタリー・スキャンダル」だ。手近の事例は、マーク・ド・ボーフォルト製作、カールトン・テレビジョン制作の、コロンビアと英国の麻薬取引を扱ったドキュメンタリー、『ザ・コネクション』(1996)である。『ガーディアン』紙の記者は、このドキュメンタリーの多くの要素が再構築され、演出され、でっち上げられたことを暴いた。申し立ては、英国の商業テレビの管理・規制責任を担う独立テレビ委員会(ITC)に取り上げられた。もちろん、このドキュメンタリーの制作者に対して多くの場面のでっち上げ(嘘)を非難するのは簡単だ。しかし、ITCが彼らを非難していた根拠は、実に疑わしかった。通常のドキュメンタリー手法である再構築、つまり登場人物に動作を再現してもらう行為が、視聴者に誤解を招く恐れがあるという理由から、犯罪になってしまったのだ。

 第1章「ドキュメンタリーの状況」では、ウィンストンはなぜこのようなことが起こってしまうのか、(テレビ)ドキュメンタリーの進化に焦点を当て、公共放送におけるそれの役割と、前提とされる仕事について述べる。ウィンストンの主要議論の1つは、今日のテレビ文脈の中でのドキュメンタリーの概念が、主としてダイレクト・シネマから養われたもので、“隠しカメラ”的な撮り方のみが手つかずのリアリティを表現することができる、という(その言葉自体に矛盾がある)愚直な信条に帰着していることだ。ドキュメンタリーの伝統と慣習(フラハティの『極北のナヌーク』(1922)や他の草分け的ドキュメンタリー作家が使った再現の手法を考えるだけで明らかだ)に対する知識の欠如が、規制者たちの間だけでなく、ドキュメンタリー作家たちの間にもみられる。その結果が、両者―つまり規制者とドキュメンタリー作家―が“創造的な処置”について完全に忘れ去り、ドキュメンタリーを“(現実性(アクチュアリティ))”の観点でしか考えなくなる。このグリアスン的定義を念頭に、ウィンストンは法と規制者の役割を第2章で検証している。自由な表現(創造的な処置)と真実を述べること(現実性(アクチュアリティ))のバランスという倫理については、第3章で語っている。

 ウィンストンは、法から切り離された規制はすべて廃止すべきである、と強く呼びかける。法は何らかの損害の発生を前提とするが、規制者はプロデューサーやドキュメンタリー作家を再現の手法、つまり――一般的には――何の損害をももたらさないことで罰しているのである。『ザ・コネクション』の場合、議論は“公的信頼の不履行”という概念に依存しており、実際の被害もしくは予想される被害が立証される必要は何もなかった。単なる再現手法の使用、しかもそれを再現だと明示しなかったことだけで、十分だったのだ。ウィンストンは表現の自由を擁護するにあたり、ドキュメンタリー制作は普通法によって制約されるべきものであり、法的価値の全くない概念を使うような規制者たちによって制約されるものではないと主張する。

 規制者とドキュメンタリー作家の両者に対して、ウィンストンは“再現連続体”というモデルを提唱しており、そのモデルは(目撃者としての)完全なる不干渉から、完全なる干渉つまりフィクションの場合までをカバーしている。これは面白いモデルだが、線引きが難しいという問題が常に発生する。ウィンストンはその線を「目撃した歴史を演じる」ところで引いており、それ以上に及ぶとドキュメンタリーの慣習から外れるのだと定義している。ロジャー・スポティスウッドと蔵原惟繕の『Hiroshima』(1995)などは、私たちの多くがドキュメンタリーと呼んでいる作品だが、ウィンストンの区別からすればこの範疇には入らない。モデルは決して全ての具体例に適応しているわけではないが、それでもドキュメンタリー作家の芸術家としての表現の自由と、ジャーナリストとしての公益事業的役割(真実の語り部――今日多くのジャーナリストがこの役割さえ忘れている)のバランスを議論するには興味深い手段である。ここにこそ倫理的問題が発生すべきであり、起こりうる問題には規制者でなく普通法が立ち向かうべきなのである。ウィンストンが挙げる小さいながら重要な1つの例が、ドキュメンタリー作家も規制者も倫理の所在を忘れてしまうことを示している。チャンネル4の『Staying Lost』(パメラ・ゴードン監督、1999)制作クルーが、物乞いや身売りをしている子供たちにカメラの前で再現を依頼したことに対して、禁止命令を出すと忠告を受けた。「子どもたちに、品位の落ちた、道義に反した、まさしく違法である行為をカメラの前で再現するよう促すという倫理的難問は、再構築という処置の倫理性ほど関心が集まらなかった」(27)。これらの“とんでもない嘘”が、ドキュメンタリー作家は視聴者というよりも同業者に対して倫理責任を負っている、とウィンストンに言わしめている。

 よく知られた皮肉的、没頭的、把握的なスタイルで、ブライアン・ウィンストンはドキュメンタリーのアイデア(主としてテレビ・ドキュメンタリーだが)が規制者だけでなくドキュメンタリー作家と名乗る人たちによっても、(歴史的な背景を否定する)とても愚直で実証主義的な見解によって脅かされていると説く。この本がドキュメンタリー作家と規制者にとっての苦悩になってほしいとウィンストンが望む一方で、この本の読者のほとんどはおそらく学者になってしまうのだろう。映像制作、規制、そして視聴のコミュニティ自体からの反響を受けるのに値するのだが。

――翻訳:田中純子

 

ケース・バカー Kees Bakker
ヨーロッパ・ヨリス・イヴェンス財団の元研究員で、現在ヨーロッパ・オーディオヴィジュアル・オブザーヴァトリー(ストラスブルグ、フランス)の研究助手。大学で映画学を教える一方で『Joris Ivens and the Documentary Context(ヨリス・イヴェンスとドキュメンタリー・コンテクスト)』の監修、また論文を多数発表。


映画とスクリーンのはざまで モダニズムの光/合成

ギャレット・スチュワート著/シカゴ大学出版会/1999年/英語
Garrett Stewart, Between Film and Screen: Modernism's Photo Synthesis
Chicago: University of Chicago Press, 1999. ISBN: 0-22677-412-0

評者:ジョナサン・M・ホール

 一本の映画がフィルムの死地からよみがえった。といってもそれは、グローバル化とやらでモスクワや北京から返還されてきた、いつもながらの押収品などではなく、東京の日活撮影所の倉庫という身近な場所から出た廃品なのである。1995年の山形国際ドキュメンタリー映画祭での束の間の再発見から7年、そして公開3日で突如として打ち切られた封切りから30余年、藤田繁矢(敏八)と河辺和夫監督の『ドキュメント構成 にっぽん零年』〔以下『にっぽん零年』と表記〕がついに復活した。当初、4人の監督によるオムニバス形式のドキュメンタリーとして企画されたこの1968年の映画は、3つの挿話――分裂・急進化する学生運動、若者たちの不安定なカウンター・カルチャー、自衛隊での新兵訓練――によって織りあわされている。河辺がフーテンや新兵との間で交わすインタヴューは非常に興味深く、また、一人の学生活動家(彼は学生運動のリーダーらしい)を中心に据えた藤田によるドラマチックな場面構成と、暴動そのものと一体となった敏速なカメラが、この映画を、多少の疑問を含みながらも、同時代におけるもっとも力強いドキュメンタリーの1つにしている。1 静止画を重要な視覚的手法にしているこの作品では、開巻早々、暴動にまでいたる学生運動の展開につづき、タイトルショットの強烈な静止画面が見られるのだ。

 『にっぽん零年』は、1999年に刊行されたギャレット・スチュワートによる『映画とスクリーンのはざまで――モダニズムの光/合成』についての書評を当ページのため執筆するという、一見、関連性のない仕事に携わっていた最中に見た映画である。スチュワートの膨大な研究は、ドキュメンタリー映画をおおむね無視しているが、そのかわりに、前衛的な実験映画、商業映画という二分法に基づいている。映画の物質性に向けられた前者の関心が、実際には「もはや、単なる映画装置についての疑問ではなく、〔中略〕知覚の全般的なテクニック」(30頁)についての疑問に終始するとするなら、スチュワートは後者、すなわち劇映画をより有益なものであると考える。そこでは「テクストの表層においてせめぎ合う力のなかで、模倣性と物質性とが〔中略〕緊張関係をあきらかにする」(28頁)からだ。フィルムのコマの部分を伝統的な映画理論の「未知の場所」と呼びつつ、スチュワートは、雄弁かつ文献資料を駆使した議論を、8つの章にわたって稠密に展開しているが、それはコマ(フォトグラム)の持つ重要性のためである。つまりそれは、通常不可視の領野なのであるが、映画の持つ「変動する物質性」(266頁)の視覚システムを構成し、支えているのだ。このフォトグラムの「消失」こそが、スチュワートに言わせれば、「映画のなかで幽霊的な現前性として到来する全てのもの、それ自身が起こる以前の状態としてのある幽霊を映像化する各瞬間に先行」(37頁)しているのである。スチュワートは、写真と映画という伝統的対立をつきくずし、かわりに映画という運動する写真を、「視覚の無意識」(1頁)というレベルでしか知覚できない映像と仮定している。

 しかし、ドキュメンタリーという形式が、映画的な物質性も説話に奉仕する模倣性も未だ映画ならざるものに対してカメラが持つ社会的関係の重要さをつねに凌駕しないような形式であるとすれば、このジャンルは、映画製作とそれよりさらに広範に拡がる表象システム(階級、セクシュアリティ、人権、ジェンダー)との社会的関係を後思案にしかしないスチュワートの書物と無関係なものだろうか? さもなくば、映画体験における一コマ一コマの根本的な重要性を説くスチュワートの主張は、われわれの『にっぽん零年』の理解にいかに寄与するのであろうか? 検証に値する1つの部分は、藤田による静止画の縦横な使用、すなわち映画が静止した不可視のフォトグラムにもっとも肉薄する接近部である。このドキュメンタリーの静止画面を監督たちの修辞的誇張(技術的な必然)であるとか、あるいは差しせまった死と制約を予感させる比喩的な句読点(美学的な必然)であると解するよりもむしろ、われわれはこの「映画的な自己顕示に満ちた1960年代後半」(27頁)に特に頻繁であった静止画面を、静的な抑圧が疾走する映画自身の内部で生起し、幽霊的に指標されたものだと見た方がいいのではないか。この幽霊的な映画の別の場所――「たえざる未占有状態」(xi頁)としての映画――は、「幻の」とすでに広告されているこの映画の邦題と非常に響きあう。零年(ゼロ/レイ年)は起源と死の堅固な場所と同様、極小で霊妙なのだ。

 スチュワートの議論は、しばしば静止画面を旋回しながら、相互に参照しあう一連の主張に収斂していく。a)静止画面というものは、映画的な自己言及性の形式なのではない。というのも、「その言及点とは、連続している表象の幻影である映画」なのではなく、映画的経験の「消失する限界」(42頁)なのである。b)静止画面は商業映画でさえ、「映像受容が常態化してしまった商品文化のなかでの消極的な観賞への「もっとも純粋な」視覚的抵抗を可能らしめるものである。c)静止画面は、その写真的性質において、「映画的なものしか生まれない時間的に束縛された機械的に生じる重大局面から逸脱する」(120頁)。またそしてそうしていくなかで、映画的なるものは、パターン化された複雑性と映画的なるものの特異性の根本的な関係をもっともよく明らかにする。d)SF映画は、ジャンルとして、「自ら時代錯誤化する発達」を喚起するだけでなく、発動させる」(222頁)のであり、「見る主体を、単なる登場人物に擬態する存在、実質なき映像受容器官に変身させようともくろんでいる」(223頁)。このようなデジタル技術の発展に際して、e)映画は技術的な郷愁のための場所となる。最後にスチュワートにとって、映画とは単なる近代のテクノロジーではなく近代的(モダニスト)な様式なのであり、そこでは映画の持つ抑圧されたフォトグラムが文学的モダニズムにおける表音文字と併走しているのである。2

 『映画とスクリーンのはざまで』は、藤田と河辺が想定していたことを提示している。静止画は、瞬間を視覚的に把捉することにおいて、身体に残される傷跡と同様に表象システムの運動性を体現すると同時のそのシステムの崩壊を提示している。『にっぽん零年』における学生活動家は、反権威主義闘争の関わりを中断し、ガールフレンドとともに広島を訪問するが、そのとき彼は被爆2世であることが判明する。この映画のもう1つの次元――ここは他の部分とは異なり、編集、内容、静止画の技法の欠如によって際だっている――は映画における終止というテーマのもっとも恒久的な思いがけとなる。被爆者たち――特に政治参加の拒否という自らの主義の帰結として、次の原爆投下をもこともなげに受け入れる快活な女中のエミ――は最終点としての死の堅固な形象ではなく――映画の最後に警察によって返還を要求された安田講堂における混乱のような政治の悲しい終焉ではなく――恒久的に、活動的に、かつ視覚的に「依然として始動中」である死の形象に言及しているのである。ドキュメンタリーをスチュワートの画期的な仕事と対話させることは、ドキュメンタリー映画の意図の視覚的本質を前景化することを意味している。それはまた、この力強い書物に潜在している政治性を明確にすることも要求しているのだ。

――翻訳:大久保清朗


1. この元学生は2002年にインタヴューに応じ、本映画への参加について述べているが、藤田が学生運動に参加しながら演技もできる人間を探していたことを語っている。この匿名の元学生によれば、藤田は会話の4分の1を作成しており、その会話自体も撮影後にスタジオでアフレコされたものであるという。市川エズミ、熊谷睦子編集『にっぽん零年』(劇場用プログラム、東京、日活株式会社、2002年)11頁。

2. スチュワートは、最近のメディア研究における、「厳密に歴史化された文化的証拠」と、それらが共通して強調する、写真が映画の基礎ではなく起源であるという考えを却下し、そのかわりに、「模倣と機械化のより広域の血縁史内部における地域的血統を明らかにする」(270頁)ためにある系譜学を要求している。その血統が「映画的テクストの第一義的な眼の根拠を覆したというよりむしろより複雑に根付かせた」のである。

 

ジョナサン・M・ホール Jonathan M. Hall
シカゴ大学東アジア言語・文化学科講師。同大学のシネマ・メディア研究会にも兼任。近代日本文学、日本映画、アジア映画論の研究と教育を専門にしている。