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特別招待作品
  • 牧野物語・峠
  • にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活
  • とべない沈黙
  • ニッポン劇場 ―海を方法とした映像を―!
  • ある機関助士
  • 海とお月さまたち
  • 映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事
  • 今村昌平 ………◎追悼上映


    今村昌平のドキュメンタリー

     今村昌平のフィルモグラフィーにおいて、『人間蒸発』(1967)や『にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活』(1970)、テレビでの「棄民シリーズ」といったドキュメンタリーが重要であることは言うを俟たない。しかし、それは今村がドキュメンタリーに対して徹底的に不満だからである。

     今村は「ドキュメンタリーでは人間の真髄に入ることはできない」と言う。それはなぜか。どうやらフィクションのように、人間を望むがままにコントロールできないことにあるらしい。ネズミ(佳江)を女優だと言い募る『人間蒸発』に、この今村の極めて素朴ないらだちを見て取れないだろうか。『マダムおんぼろの生活』や、70年代に映画から離れて取り組んだ「棄民シリーズ」では、今村自らがインタビュアーとして登場し、たたみかけるような質問を対象にぶつけていくが、そこに、どうしても人間の内奥に迫れない今村の逡巡を感じないだろうか。撮り手が関わったことで対象となる人間の人生が変わってしまったのではないか、という問いかけを今村はつねに捨てさろうとしないのだ。こうして今村のドキュメンタリーは必然的にメタ的構造を引き入れるのである。

     約10年ぶりにフィクションに戻った『復讐するは我にあり』(1979)で、通奏低音として鳴り響いていたのは、この今村のドキュメンタリー観だ。今村のフィルモグラフィーの中で最もウェルメイドなこの作品、ラストシーンで議論を呼んだ“ストップ・モーション”が唐突に現れる。映画的時間を暴力的に分断するこの場面に、ウェルメイドな映画的結構からつねに横滑りしていく、今村のドキュメンタリーの反響を聞き取るのはけっして的外れではあるまい。

    川村健一郎(立命館大学映像学部准教授)


    - 今村昌平

    1926年生まれ。1951年松竹大船撮影所に入社するものの、1954年に日活に移籍。助監督として川島雄三監督作品などに携わる。1958年に『盗まれた欲情』で監督デビュー。その後、『にあんちゃん』(1959)、『にっぽん昆虫記』(1963)、『エロ事師たちより 人類学入門』(1966)、『人間蒸発』(1967)、『神々の深き欲望』(1968)などの作品を話題作を立て続けに発表。同世代の大島渚とともに、国際的にも評価の高い日本映画の旗手となる。『楢山節考』(1983)、『うなぎ』(1997)で2度のカンヌ国際映画祭のパルムドール受賞の快挙を成し遂げる。その他、『女衒 ZEGEN』(1987)、『黒い雨』(1989)、『赤い橋の下のぬるい水』(2001)を発表。1975年には横浜放送映画専門学校(現:日本映画学校)を佐藤忠男らと開講し、校長を務め、後進を育てた。2006年に逝去。


    にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活

    A History of Postwar Japan as Told by a Bar Hostess

    - 日本/1970/日本語/モノクロ/16mm(原版:35mm)/105分/英語字幕版

    監督、脚本:今村昌平 撮影:栃沢正夫 
    録音:長谷川良雄 製作:堀場伸世、小笠原基生 
    製作会社:日本映画新社 提供:国際交流基金

    横須賀の外国人向けバーおんぼろを経営するマダム赤座悦子が語る日本の戦後。戦後まもなく田舎を飛び出して、原爆、ヤミ市、パンパン、朝鮮戦争……、女であることを武器に生き抜いたバイタリティあふれる女の生き様。ニュース映像を挿入し、女の肉体を通して今村昌平が描いた日本の戦後25年の歴史。