English

審査員
デボラ・ストラトマン


●審査員のことば

 私は行く手を阻まれるために映画館に足を踏み入れる。理念によってかき乱し、そのためのリスクを負い、それらに突き動かされているような作品が見たい。経験したことはあっても、名指しすることのなかった明確な何かを目撃したい。作り手としての私は、自分にとって抵抗のある主題に取り組むことを好んでいる。結局のところ私は、わからないから作るのだ。

 政治の世界で映画が何をなしうるかに関しては、アラン・バディウが詩について述べていることが気に入っている。曰く、詩とは「規則に縛られた交わりでなく、むしろ一方的な贈り物、法なき提示命題である……哲学は、数学素マテームの権威を詩の権威に置き換えないかぎり開始し得ないし、政治における〈現実的なもの〉も捉えられない」。あるいはチャールズ・ボーデンも言うように、口で説明されることは否定できるが、心で感じられるものは忘れることができない。

 注意を払うことには力がある。場所や主体性を譲り渡す可能性を宿しているがゆえに、観察には力がある。ところが、私たちが見聞きするパターンには、文化的な偏りがある。とすると、他の時間性、他の見方、他のアプローチに注意を向けるには、いったいどうすればよいのだろう? 拠って立つ土台をほんの少し揺さぶること。驚くための余地を残すこと。習慣を疑い、積み上げられた煉瓦を疑い、自分を抑えつける極限を疑うこと。自分のラジオの周波数はどの局に合わせたままにするか。自分の好む道を進むのか。誰が語り、誰が決定権を握るのかに注目せよ。ある種の人々が、ある種の伝え方が、ある種の出来事の切り取り方が他よりも信用されるのは何故なのか、好奇心旺盛に詮索せよ。後に続く自由を讃えるのではなく、叛乱を起こし、法や規範や価値といったものに異議を唱える自由を、ジュリア・クリステヴァとともに讃えようではないか。

 ダナ・ハラウェイも言うように、いかに見るかについて自分が習得するものに答えを返せるような自分であれ。


デボラ・ストラトマン

場所と観念と社会の絡み合いを探求しつつ、権力、支配、信心をめぐる問題に切り込む作品を制作するアーティスト・映画作家。近年のプロジェクトでは、自由、陥没地帯、彗星、直翅昆虫類、監視、「明白なる天命」思想、インフラストラクチャー、空中浮遊、信仰といったテーマを扱っている。これまで、ニューヨーク近代美術館、ポンピドゥー・センター、ハマー美術館、マーサー・ユニオン現代美術センター、ヴィッテ・デ・ヴィット現代美術センター、タバカレラ国際現代文化センター、ホイットニー・ビエンナーレなど、世界各地で展示を行うほか、サンダンス映画祭、ヴェネチア映画祭、ベルリン映画祭、トゥルー/フォールス映画祭をはじめ、コペンハーゲン、トロント、オーバーハウゼン、ロカルノ、ロッテルダムの映画祭にも出品。フルブライト、グッゲンハイム、サンダンス・アート・オブ・ノンフィクション、USAコリンズ・フェローシップなどの各種奨励金に加え、アルパート賞およびクリエイティヴ・キャピタル、グラハム財団、ハーポ財団、ウェクスナー芸術センターからの助成も受けている。現在はシカゴに在住し、イリノイ大学で教鞭を執っている。



ヴェヴェ(バーバラのために)

Vever (for Barbara)

アメリカ/2019/英語/カラー/デジタル・ファイル/12分

監督、編集、音響:デボラ・ストラトマン
撮影、声:バーバラ・ハマー
テキスト、現地録音:マヤ・デレン
図形:伊藤貞司
音楽:キャサリーナ・ボーンフェルド、伊藤貞司、ジョージ・ハーダウ
提供:Pythagoras Film

世代の違う三人の映画作家が結びつき、自分たちも本来的にその一部である力の構造に代わる可能性を模索する。この映画は、マヤ・デレンとバーバラ・ハマーによる中断された映画プロジェクトから生まれた。1975年、ハマーがオートバイでグアテマラを旅した際、最も遠くまで行った場所で撮影した映像に、50年代のハイチでデレンが経験した失敗、出会い、イニシエーションに対する本人の内省が織り込まれる。ヴェヴェとは、ハイチのヴードゥー教で、ロア(神)を召喚するための象徴的な図形である。



オア・ザ・ランド

O'er the Land

アメリカ/2009/英語/カラー/デジタル・ファイル/50分

監督、撮影、編集、音響:デボラ・ストラトマン
音楽:マリアン・アマーチャー、ケヴィン・ドラム、スティーヴ・ローウェル、ラストモード、リッチ・ハモンド
声:ロブ・ケリー
提供:Pythagoras Film
www.pythagorasfilm.com

1959年に高度47,000フィート地点にあった戦闘機から脱出、雷と嵐の中を落下し生還したウィリアム・ランキン中佐の話と並行して、アメリカの消費、娯楽、スポーツ、銃文化などにカメラを向ける。それらの映像とインタビューの音声によって、アメリカ人が持つ愛国心やアメリカ人が考える自由という概念を側面的かつ断片的に構成している。