韓国インディペンデント・ドキュメンタリー
インディペンデント・ドキュメンタリー 研究チーム著/イェダム出版社/2003年/ハングル語
Independent Documentary Research Group, Korean Independent Documentaries
Yaedam Publisher Co., 2003, ISBN: 89-88902-74-2
評者:ユン・ヨンスン
韓国でのドキュメンタリー映画の歴史は劇映画と比べると、非常に日が浅い。参考にできる作品も、受け継がれる精神も殆どない現実で、1980年代、いわゆるインディペンデント映画の運動家たちはあらゆる事を自らの手で掘り起こすことしかなかった。その結果1980年代以降の韓国ドキュメンタリー映像は注目に値する成果を収めてきた。キム・ドンウォン監督の1988年作『上渓洞(サンゲドン)オリンピック』や1992年から1999年まで3部作で完成したビョン・ヨンジュ監督の「ナヌムの家」シリーズは国内だけではなく世界的にも注目を浴びた作品で、この時期に韓国におけるドキュメンタリー映像が果たした代表的な成果物であると言える。また1982年ソウル映像集団の「パンノリ アリラン」を始めとして今まで一般の大衆に公開された作品も2百本あまりに至る。
1960年代以来の軍部の独裁が長らく続いていた韓国の政治状況ゆえにインディペンデント映画やドキュメンタリー映像の製作者らは出発時点から民衆、民主化運動のひとつの軸として機能させられた。特に1980年代全斗煥政権の暴圧的な政治は以前までは大学生や一部の労働者だけに限られていた民衆の運動が各界各層にまで広がっていくきっかけになった。この過程でインディペンデント映画、特にドキュメンタリーの映像運動は民衆運動を善戦する者として、あるいは現実を暴露する者として自分たちを位置づけた。
しかし、1990年代に入って金永三政府と金大中政府のような“民間政権”に入ってからは政治は徐々に民主化され、社会・経済的にも消費主義と物質主義が急激に進行し、ついにはソ連を始め現実社会主義権が没落していくことによってインディペンデント・ドキュメンタリーの映像陣営も以前の方式だけでは主張することができなくなった。インディペンデント・ドキュメンタリーの政治学や美学はどうあるべきなのか、制作の方式はどのような形態に変化するべきか、新しい媒体の技術として登場したデジタルというのはどのような方式で導入されるべきであるか、などの悩みが始まるようになった。
今年6月に発刊された『韓国インディペンデント・ドキュメンタリー』はこのような悩みに対するひとつの結実である。しかも批評家たちや第3者ではなく「インディペンデント・ドキュメンタリー研究チーム」というドキュメンタリーの制作と関連している彼らの直接的な声を集めている点で、自己批判的な性格も強い。彼らは3年前から直面していた問題を追求し、ミーティングや討論を重ねていたし、必要とあれば製作者たちにインタビューをし、それをまとめたりもしていた。
この本は1部と2部、さらには重要な作品のレビューと作品のリストが収録されている付録で構成されている。
まず、第1部は「韓国インディペンデント・ドキュメンタリーの旅程」という題名で展開してく。その中の1980〜1990年代のドキュメンタリーの歴史を振り返る1、2章はキム・ドンウォン(前プルン映像代表)、キム・ミョンジュン(労働者ニュース制作団代表)、イ・サンイン(前民族映画研究所会員)、ビョン・ヨンジュ監督など当時活動していた監督や製作者たちとのインタビューを通してインディペンデント・ドキュメンタリー運動の歴史を概括している。。“映像を通しての社会運動”という強い使命感の中で教育と宣伝または啓蒙のための性格が強かった1980年代と、作家意識に基盤した運動ではなく。“作品”の方に重みの中心が移り始めた1990年代の特徴が浮き彫りされている。
しかしこの本の価値は第2部にあるといえる。韓国インディペンデント・ドキュメンタリーの歴史的な地形図を探ることが地ならしをすることであったとしたら、2部では具体的にどのような家を建てるかを省察している。すなわち、ドキュメンタリーを制作する時 “なに”を作るかということも大事であるが、対象に“どのように”接近し、どのように創っていくのか、についても悩んでみようと筆者たちは主張している。このような疑問は今までインディペンデント・ドキュメンタリー関係者側から、きちんと整理された形として示唆されることはなかった。
1章の「政治的なリアリズム:韓国インディペンデント・ドキュメンタリーでのリアリティーの構築方式」(ナム・インヨン)では『ナヌムの家2』(ビョン・ヨンジュ、1997)『天日干赤唐辛子を作る』(チャン・ヒソン、1999)、『chimmuk-i kae-eau-jinun sigan (沈黙が破れる時間)』(イ・ジンピル、2000)を中心として最近の韓国のドキュメンタリーで見られる再現シーンの新しい次元について分析している。結局、製作者は再現の過程を隠し、再現された現実をあたかも自然であるかのように偽装することしかできないと断定している。そのような意味で『ナヌムの家』や『天日干赤唐辛子を作る』のように、製作者が画面の中に登場し、記録されている人たちと水平的な関係を結んでいる作品が作られる現実はいいことであるとみている。
2章の「韓国独立ドキュメンタリーで“わたし”の位置と性格」(イ・ヒョンジョン、キム・ヒヨン、ホァン・ユン)も作品の中で製作者が自分の姿を現わしていることの意義に焦点をあわせている。「作品の中に自分自身を登場させることは、固定されている位置から世の中を見ることを拒否する事であり、対象と関係を結びながら製作者である自分でさえ変化していく姿を見せることであり、このような新しいスタイルに注目すべきである。」と強調している。
インディペンデント・ドキュメンタリーの歴史を整理し、これからの課題を整理するという点で、この本の出版は後学のためにも重要な資料であることは確かである。ところがドキュメンタリー関係者の内部で作られたことが、この本の限界として作用している。“ひとつの囲いの中での家族”という無意識がそうさせるのだろうか、冷静な評価と批判には至ることができなかった面がある。このような作業は批評家と映画学者たちの分として残されている。換骨奪胎、本当に古いことを否定し、新しいことのためには温情主義から抜け出して弱点と限界を思い切って指摘し、さらにはそれを謙虚に受け入れる姿勢が必要である。
ユン・ヨンスン Yoon Yong-soon
早稲田大学で映画学を専攻した後、韓国に帰国、制作の現場でプロデューサーを努める。現在日本映画の研究をしながら執筆活動を行っている。映像物等級委員会に在籍。
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