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ロバート・クレイマー特集 [1982]

全速力で

As Fast as You Can
A toute allure
- 1982/フランス/フランス語/カラー/59分/ビデオ

脚本:ロバート・クレイマー
撮影監督:リシャール・コパンス
撮影:ミシェル・ルコック
編集:ドミニク・フォルジュ
音楽顧問:バール・フィリップス
録音:アンドレ・シエキエルスキー
照明:イヴァン・マルタン、ダニエル・デフォンテーヌ、クロード・ペゼ、ダニエル・バンキムーン
記録:マルティーヌ・シコ
出演:ロール・デュティユール、ウィリアム・シェリノ、ベルナール・バレ、他
製作:マルティーヌ・デュラン
製作会社・提供:INA

パリ郊外の新開発地域ラ・デファンスの巨大なショッピングセンターの隣にはローラースケートのリンクがある。クロムメッキとガラスで出来た建物であり、ネオンと音楽の建物でもある。ネリーとセルジュはその年令の典型的な若者だが、将来の計画はちょっと変わっている。ローラーダービーのチャンピオンになって、アメリカに行き、シカゴ・フライヤーに入りたいのだ。だがそのための金はどうすればいい? ある日、ネリーとセルジュは若者についての取材記事を準備している記者のフェリックスに出会う。もしかしたらこの新聞が2人のスケーターの冒険を記事にするために出資してくれるかも知れない。セルジュは乗り気だが、ネリーは信用しない。



■■■ 「これは金の持つ権力についての、なにが売られなにが買われるかについての、そして生への渇望と早く死にたくはないという欲望についての映画、80年代のための映画だ。」

ロバート・クレイマー(トリノ映画祭'97 カタログより転載)

 

 


クレイマーとデジタルビデオ

ロバート・クレイマーはすでに『マイルストーンズ』の頃から、しばしば自らカメラを廻していた。それは主観と客観の問題意識に結びつくことだとクレイマーは言う。「生きるという行為はすべて、解釈についてのものだ。テレビや新聞は一見客観的な報道をする。だがそれは企業の利害に基づいた解釈である。それをあたかも客観的な“事実”として提示することとは何なのか?」。その解決作として『マイルストーンズ』や『ガンズ』、『誕生』『Notre Nazi (われらのナチ)』と言った作品で、監督である彼自身が映画のなかの人物として登場する。だが決定的な転換点は『ドクス・キングダム』だった。「ラッシュを見ていて、初めて自分のやったことに気付いた。冒頭のドクが目覚めるシーンから、カメラがひとりの人物になって彼を見ている。しばしば、ドクが喋る時には、カメラが彼を詰問している」

 金銭の制約からビデオを使った『X-Country(X-カントリー)』をドクことポール・マクアイザックと2人で撮影(マクアイザックは録音を担当し出演もしている)、その実験の成果を反映させた『ルート1』以降、クレイマーはカメラを常に自分で廻すようになる。それを通じて画面には決して登場しない彼自身が、それでも映画の登場人物としてカメラの前で起こる事態と関わって行く。ヨーロッパ人の親子3人のそれぞれの旅を描く『ウォーク・ザ・ウォーク』についても、クレイマーは「だがそこには常にアメリカ人である第4の登場人物がいる――私だ」と明言していた。

 一方で『ドクス・キングダム』の頃から、クレイマーは荒編集をビデオで行うようになる。編集スタジオでなく自宅の機材で作業すれば、経費の節約になるのだ。ビデオ撮影も、テレビ局からの委嘱作品である『ベルリン90年10月』などは当然としても、同じく予算上の理由と、機材の機動性から、ヴェトナムで撮影した劇場用長編『スターティング・ポイント』でもベータカムを使った。

 そんなクレイマーにとって、小型のデジタル・ビデオ(DV)カメラの登場と共にそれを積極的に利用するようになったのは、当然の成りゆきであった。「DVカメラは自分の目の延長のようなものだ」とクレイマーは言う。DV撮影の『マント』では、カメラを操作するクレイマー自身が主人公である映画作家になり、映画はすべて彼の主観ショットで構成される。だがクレイマーはそれが『湖中の女』(1943、ロバート・モンゴメリー監督)のような“仕掛け”に終わらないように細心の注意を払った――「『マント』の真のテーマは、生きることと映画を撮ることの境界をなくす試みだった」。

 以後、クレイマーはすべての作品をDVで撮影している。97年の来日時に妻エリカと日本全国を旅した体験にインスピレーションを受けた企画『Lust for Life』も、日本各地でDVで撮影することを前提としていた。「しばしば手持ちカメラで、浮いているような(左から右へとカメラが流れていくように何が重要かを探しているが、何が見つかるかは分かっていないような)撮影スタイルが、直感的で生命感に満ちた感覚を作り出す」と、クレイマーはその企画書に記している。三島由紀夫とジャン・ジュネに触発されたフィクションのストーリーが骨格にはあるが、そこにDVカメラが捉える現実を絶えまなく介入させる。『Lust for Life』は彼の急死により実現せずに終わった。

 だがクレイマーは、やはりDV撮影で35mmにブローアップされた『平原の都市群』では、このどちらの戦略もとっていない。むしろ凝視するような極度のクロースアップの連続が、人物たちの内面にまで大胆に踏み込む。“平原の都市”はロングの風景としてではなく、カメラが舐めるように捉えた表面の金属的な質感のなかにこそ存在しているのだ。これはロバート・クレイマーの新しい出発点だったのかもしれない。

水原文人


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