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殺人という行為

The Act of Killing

- デンマーク、インドネシア、ノルウェー、イギリス/2012/インドネシア語/カラー/Blu-ray/159分

監督:ジョシュア・オッペンハイマー
共同監督:クリスティン・シン、匿名者
撮影:カルロス・マリアーノ・アランゴ・ドゥ・モンティス、 ラース・スクレ
編集:ニールス・パオ・アンデルセン、 イェヌス・ビレスコ・イェンセン、マリコ・モンプティ、 シャルロット・ムンク・ベントセン、 アリアディナ・ファトジョ=ヴィラス・メストレ
録音:グン・トーヴ・グロンスベア、 ヘンリック・グゲ・ガノー
製作:シーナ・ビュア・ソァンセン
製作会社:ファイナル・カット・フォー・リアル
配給:シネフィル cinephil.co.il

自らの行いを全く悔やむことのない殺人部隊のリーダーと出会った映画作家は、大量殺人における彼らの役割を再演し、実際に行われた殺人行為を映画化するよう提案する。その悪夢のような製作のプロセスから浮かび上がるのは、映画的な熱狂の夢であり、大量殺人者の想像世界への心乱される旅であり、彼らの住む社会の、衝撃的なほどに陳腐で、腐敗と免責がはびこる支配体制であった。鮮烈な映像と、人間そのものの弱さ、罪深さに圧倒される159分間。



【監督のことば】映画の歴史を紐解いてみると、そこでは善悪の対立、善人が悪人と戦う姿を描く作品が多数を占めていることがわかる。しかし、善人や悪人といった人間は物語のなかにしか存在しない。現実には、歴史上のあらゆる悪行は、私たちと同じ人間によって行われたものだ。「悪をなす人間」から「悪い人間」へ飛躍することで、私たちはある個人を丸ごと、その生の全体を告発することになる。誰かを告発することで悦に入っているのだろう。おそらくそうすることで、自分には告発する権利があるという感覚が生まれ、自分は違う、善人だと再確認できるのだ。

 『殺人という行為』の観客となる方々には、そこに登場するアンワル、1,000人もの人間を殺戮したと思われるこの人物に、どこか自分と似た部分があるということを見出していただきたい。殺人を犯した者に感情移入することは、犠牲者に対する感情を減ずることを意味しない。実際にはその逆の事態になると言った方が正しい。感情移入は、一方に加担すればもう一方への感情がゼロになるといったものではないのだ。感情移入は愛の始まりであり、愛を持ちすぎるなどということは決してないのだと思う。

 一瞬でも、アンワルと自分が同じ人間だと思えたとき、世界は善人と悪人とに隔てられておらず、より厄介なことに、私たちは皆自分が信じたがっているよりもずっと、加害者のすぐ近くにいるのだと心底実感できるだろう。

 『殺人という行為』は、人間であるということがどういうことなのかについて、いくつかの厳しい問いを突きつけている。過去を持つとはどのようなことなのか? 物語を語ることを通じて、私たちはどのように現実をつくり上げているのだろう? そしてここで最も重要となる問いがこれだ。この苦く消化し難い真実から逃れるために、私たちはどのように物語を利用しているのだろうか?


- ジョシュア・オッペンハイマー

1974年、アメリカ・テキサス州生まれ。10年以上にわたり、非職業軍人、市民虐殺に関わった部隊兵士、犠牲者らの取材を重ね、政治による暴力と公衆の想像力との関係を探っている。ハーヴァード大学とロンドン芸術大学セントラル・セント・マーティンズ・カレッジで学び、『The Globalization Tapes』(2003、クリスティン・シンと共同監督)、『The Entire History of the Louisiana Purchase』(1998、シカゴ国際映画祭・金のヒューゴー賞)、『These Places We've Learned to Call Home』(1996、サンフランシスコ国際映画祭・金の尖塔賞)などの他、数多くの短編作品でも受賞歴がある。また、英国アーツ&ヒューマニティーズ・リサーチ・カウンシルのシニア研究員として「大量殺戮とジャンル」プロジェクトに携わっており、広くこうしたテーマを扱った論文も発表している。