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日本のドキュメンタリー作家インタビュー No. 11

大木裕之


これまで日本のドキュメンタリー作家インタビューのシリーズでは、評価の定まったベテランの監督たちをとりあげてきました。今回は、日本ドキュメンタリーの未来を築く新鋭に照明を当てることにしました。今回はその一人目として、若手の実験映画監督の大木裕之さんにインタビューをお願いしました。我々の依頼に応じて下さった後、山形国際ドキュメンタリー映画祭 '97のインターナショナル・コンペテイション部門へのノミネートが決まりました。「Documentary Box」編集者のアーロン・ジェローと門間貴志がお話しをうかがいました。


ジェロー:大木さんは東京大学で勉強なさっていましたね。東京大学出身の個人映像作家はもちろんいますが、そんなに多くはないんです。大木さんの場合はどういうきっかけで映像作家をめざしたのかについての話を聞かせてください。

大木:僕は小さい時から建築が好きだったんです。その場合、いわゆる建築のイメージっていうと、わりと近代的なイメージだったりするでしょう。僕の場合は建築はそういうものも含めて、もちろん新しい高層ビルとかも当時は好きでしたけど、やっぱり人が建築ですよね。実際の建物ってのは街があってその中のある所に位置していて、家も学校もそうですし、家の場合はどっかの知らない人の家っていうよりは例えば自分の家であったり、友人の家であったり、そういうもう少しひっくるめた意味での建築、建築っていうよりは街だとか生活。歩いてどっかに行くだとか、隣の家だとかその庭って言っても…抽象物、芸術作品としての庭っていうよりもっと具体的な感じをイメージしますね。

ジェロー:社会の中の空間の構成とか…

大木:…ていうふうになっちゃうのかな。もう少し…、

ジェロー:身体的なもの。

大木:そうですね、もう少し、気分でもそうですね。例えば夕暮れの隣の誰それさんの家とか、駅までに行く途中の道っていうのがとにかく好きです。だから自分がアプローチするとしたら、自然と物を作っていく方向に行くわけですよ。中学、高校の頃から設計をしてまして、家を設計したりするのもやっぱり具体的に台所のドアとか、誰がどう住んでとか、そういうパーソナルな目で考えるのが好きだったんですよ。そういう関わりで建築が好きだったんで、大学に入ったんです。実際僕らが計画していく上では、非常にアバンギャルドっていうのか、まあその当時と今はだいぶ違うと思いますけど、80年…、ちょうどバブルの前ぐらいだったのかな、まだポストモダンの建物とかそんなに日本に出てきてない頃だったんですけど、僕はあの路線に近かったんですよ。でも実際学校の中ではオーソドックスな建築学になる。まずは家を造ってちゃんとできあがるものっていう路線。でもそれが合わなくて、建築自体が業界っていうか、ある意味では芸術とは言えないと思います。もう新しいものを建てる必要はないぐらいに思ってたんですよ。

 そういう頃に僕は映画は全然観てないんですよ。文章を書くのが好きで、映画好きな友達がいて、クラスで映画作ろうってことで、僕は脚本書いて、自分もまた演ずるのも好きだったんで、自主映画の脚本と主演をやることになって、そしたら映画づくり自体は楽しかったんですよ。そのうちだんだん映画に入っていくようになりました。当時僕はよく山小屋にアルバイトに行ってて、自然がきれいな山の上に一ヶ月とか、建物があって人が生活しながら仕事しながらの風景もある。で、最初に自分でカメラを買ったのは、もう一回同じクルーで、今度は僕が二十歳の時に監督して撮ることが決まった時でした。それで最初に練習にと思ってアルバイト先に持っていって、撮り始めたのが自分で撮った最初なんです。

ジェロー:『正しい欲望』(1984年)。

大木:それはドラマの方ですよね。山小屋で撮った方ではなくて、それはその後に同じクルーで撮った。僕はどっちかって言うと山小屋でやってる方が自分の生き方とか、自然があって人がいてっていう、そういうコミュニケーションのとりかたにだんだん興味を持ってきた。それで建築家としてやることと実際だんだんコミットしてこない。今はまたちょっと考え方が違いますけど、当時はやっぱり単純に考えて非常に不満だったもので、建築のシステムとか、建築家がやることとか。自然に自分が映画の方向に行ったと思うんですよね。卒業論文も「映画における空間表現―和室編」っていって、和室なら和室を建築家として造るのもいいんだけど、映画がどうとらえているのかというのを研究した。設計の方を松前って所、その時にその後できる松前くんの映画と同じスタイルのことをもうやってて、実際20日間ぐらい北海道に行って、そこで全部街や人や光で、そういうものひっくるめた生活を感じた。一種のマンガみたいな卒業設計をやりました。もちろんその時はもう映画でやってく気でいたんでしょうけど、自分がやりたい建築的に突きつめていっても、そういうフィクショナルな方向に行っちゃった。

 それでイメージフォーラムに入ったもんで、その時も何をするか分かってなかったと思うんですけど、自然にそういう流れでした。ぱっと方向が変わったっていうよりは、何か基本的に自分のやりたいことはある程度は一貫してるなと思ってるんです。

ジェロー:イメージフォーラムでの経験からどういう影響を受けたでしょうか。実験映像作家も何人か教えていますし、そこで何を学びましたか。

大木:僕は結局それまで映画の学校に行ってたわけではなかったし、映画ファンでもなかったし、大学に入ってから映画はすごい観るようになったけど、一緒に映画を作った仲間は映画好きでしたけども別に映画サークルではないんです。その後『移動教室』(1986年)は山小屋で撮ってて、それはイメージフォーラムに行く前の作品なんです。でも『移動教室』はご覧になってないと思うけど、実際は実験映画っていうかドラマじゃないです。風景をだーっとつないでいるような…。要するにちゃんと教わったことがなかったし。イメージフォーラムのシネマテークで寺山修司だけ観たことあって、その時は面白いと思わなかったんですよ。イメージフォーラムに入る時も実験映画だけは撮らないと思ったんですよ、僕が観ていて面白いと思うのは劇映画なわけですから。その当時作ってたものは違ったんですけど。ゴダールなんかは観てましたけど、実験映画は全然観てなくて、要するに知らなかったんですよ。まあ入った時に実験映画やろうとは思わなくて、単純に映画が少し勉強できると思ったんですね。

 でも実際入ってみると初めて映像作家っていう人も見たわけですし、鈴木志郎康さんとかかわなかさんとかいましたし、やっぱり個人で映画を撮るっていうことが伝わってきたんです。だから僕にとっての覚悟っていうのか、そういうのはイメージフォーラムで作られた。ともかく若い時に作り続けている人たち、いわゆる絵を描いたりする同じような人たち、で、それなりに面白い人たちなんで、それ自体が僕にとっては刺激になったと思う。まあ作品的にももちろん鈴木志郎康さんの未編集の映画なんてのも当然その時に知ったわけですし、それは影響としては非常に受けたんじゃないですかね。

ジェロー:僕は、『遊泳禁止』(1989年)を拝見した時は、鈴木志郎康さんの影響があったのじゃないかと思いました。未編集の所もあるし、日記の構造もあるし。音がついてる部分もあるし全然ない部分もあるし、その部分はもしかしたらかわなかさんからも何かあったんではないかと。ある程度自分のスタイルを作るのは半分は教育から、あとは自分で発見したような経験からだったではないでしょうか。

大木:山小屋で撮ってくっていうのは前からやってるんですよ。大学の時のは『松前くんの日記帳』(1989年)ってタイトルなんですよ。まあ考えてみればその時点からあったわけで、設計が日記になってるんですよ。映画としては『松前くんの映画』っていう、『遊泳禁止』もそうなんですけど、ある程度それは作家として作品を編集してるわけなんです。必ず細かい編集を。今は特にレッテルを貼られた部分もありますけど、僕自身は未編集が自分のスタイルとは違う。まあこの『正しい欲望』なんてほんとひどい映画なんで誰も観てないですけども。でも全然未編集でもないし『移動教室』もそうなんですよ。もっとやりたいテーマっていうか写してる場所とか人間のことに関しては基本的に今とある程度同じなんですよ。だからそういう意味で未編集もプロセスとして必要で、未編集の価値っていうのは非常に持ってますけど。あくまでそれはスタイルっていうより方法論のことですからね。

ジェロー:未編集ってのは、大木さんの場合は映像を媒体として自分と被写体の関係を最もうまく表す方法論ではないかと思うんですけど。その場で撮ったものをそのまま使って、その場で感じたものは映像に直接現れてくるような感じがするんですよね。もちろん編集にももう一つの感情の入れ方もあるんじゃないかと思いますけど。大木さんの場合は編集はどういう感じがするんですか。

大木:僕のやりたいことは編集ではないんですよね。そこが難しいところで。必要条件というか、自分の中でありますけどね、未編集で済んでしまえば一番いいという時。ある種の時間の全体を表現したいんで、それは志郎康さんがいうある流れとかが未編集が一番出る。僕の場合基本的にあらかじめ何かを伝えようとしてっていうんじゃない場合が多いですよ。だから編集が必要なんじゃない。

門間:大木さんは自分がいて周りがあってそれを長廻ししたいっていうか、自分はここにいてという感じで、途中で切ったりとかの必要条件は確かにない。

大木:そうですね。それを1カットでやっちゃ意味ないんですよ。ある日数を経るわけじゃないですか。あくまで一発の長廻しってことよりもその集積が大事です。作品としては一つ一つの行為よりもその集積、全体像を見せたいっていうのがあるんですよ。だから一つで見るとムラがあるけれども、基本的に全部20日間なら20日間を編集なしで撮って全体を見たいんですよ。その一つ一つはあるんですけども、その時にいろんな気持ちがあったり関係があったりいろんな出来事があるわけなんですけども、その一つ一つがつながっていくそういう流れは自分では一種の物語だと思ってるんですよ。だからある種の流れというのは一個が持つ力じゃない。その一つ一つはあるんですけど、全体でどういう役割を果たしてるのか本当に分からなくなってくる。未だにね、未編集でできたら一番いいけども、必ずしも結果としてうまく出てこないこともあるんです。最近はうまくいかないから編集してつなぎ直してしまう。『Heaven-6-Box』(1995年)も最初は未編集でやるつもりだったんです。結果的に未編集で文句なければ未編集でいったと思うんですよ。

門間:建築の話に戻るわけじゃないですけど、大木さんの作品って一貫して建築を思わせるんですよ。例えばある家があってその家にずっと住むっていうのを繰り返して、その家が消えたとしても家の感触がずっと手元に残ってる、そんな感じ。さっき言ったように時間をかけて積み重ねていくのも、家で生活していくっていうのと似てると思うんですよね。なんか場所を自分のものにしていく、そういう映画のような気がするんですけどね。『3+1』(1997年)もその延長上にあるような気がするんですけどね。対象を建築と見なして家の中も周りも自分の感覚の延長にしていくような。そうなると編集も確かに重要ではないですよね。実際に1カットであろうが編集であろうが、それはあんまり本質的な問題ではなくて、空間としていかに家を自分のものにしていくかっていうような気がしたんです。大木さんのは構築じゃなくて出来上がった家をいかに住むっていうかね、住む行為をしてるみたいな。自分が身を置いているその場所に、手が届く範囲を確認していく作業、それをイメージしたんです。『3+1』とか最近の作品は確かに変わったとかいうんだけども、そういう意味では確かに一貫しているような気がしますけど。

大木:その意見はすごく参考になります。

ジェロー:最近の作品では数字が一種の秩序を与えることが多くなってますね。『Heaven-6-Box』は6つの箱があって、それぞれは10分ずつ、『エクスタシーの涙 恥淫』(1995年)は1分間の部分に分けられ、『優勝』(1996年)の場合は4つの部分があって全部長さは同じです。そうすると編集はもちろん必要になってきますね。自分の作品と数字の関係はもしかして編集との問題と関わってきてるのではないでしょうか。

大木:僕自身すごくトータルなものをやりたいんですよね。『遊泳禁止』は完全な構造映画で、一本は3分20秒で23本かでつながってるんですよ。数字そのものより数字の中の真実と秩序としての使い方だと思うんですよ。僕の中には『遊泳禁止』はノーカットの映画だけど、実際はすごく構造的な造りになるわけですよ。3分20秒の単位なわけですから。実際撮影をしてる時も一本目二本目っていうふうに撮っていくわけです。

ジェロー:大木さんの場合は数字は映画的なものじゃなくて一種の宇宙観…、

大木:そうですね。そうだと思います。だから映画ってものに対してのイメージってのもあるんですけども、純粋な映画上の問題とも違うと思うんです。24時間を持ってる1日とかも、自然の摂理じゃないし、映画がそういうものと関係してるような気がする。数学的なものってイメージがあると思うんです。まあ数字の発想をしてるのがあるんですけども、自分にとって一つの重要な助けというか指示してくれるものって気がします。

ジェロー:カメラワークについてお聞きしたいんですが。作品を見ると、かなり静止したカメラの作品もあるし、最近の『優勝』とか『Heaven-6-Box』などはかなりカメラが動いているような気がします。なぜそのような違いがありますか。

大木:『遊泳禁止』とか初期の作品はかなり動いていると思うんですよ。中期の辺の作品がある種の反省っていうか、それを意識的にスタティックなものにした時期がありました。最近は『3+1』(1997年)は別ですけれども、『Heaven-6-Box』、『優勝』、『恥淫』は割合で言えばフィックスの方が多いと思うんですよ。だからそういう点では、動きに関しては、ある程度使い分けてはいると思うんですけどね。ただ基本的に即興に手で持って現実の何かを撮るんです。

門間:それはあまり自分で意識しない? その切り替えとかは?

大木:だから変わってきてますよね。はっきり言って最近はカメラワークとかの関心がなくなってきていますね。5・6年前にすごく動くのが嫌でフィックスにしてた時期があったんですよ。『あなたがすきです、だいすきです』(1994年)は非常に手持ちが多くて、あの頃はまた逆に手持ちの良さみたいのを意識していた。『3+1』はまた別なんですよ。あれは基本が手持ちなんです。でもカメラワークとして美学上の関心はないですね。逆に言うと何かやってみたい時にそれが手持ちでないとできない部分もある。実際三脚持ってるか持ってないかとかいろいろ、最近は意識しない限りは三脚に座ってる方がいいかなって思う時もありますね。

ジェロー:イメージフォーラム・フェスティバルで『3+1』を拝見した時、質疑応答に大木さんは自分は映画青年でもなかったんですけども、それよりもダンスの方に興味があったとおっしゃいました。『3+1』だけじゃなくて、動いてるカメラは大木さんの映像におけるダンスの表現の一つではないかと思ったんですけども、どうでしょうか。

大木:それはあるんです。基本的には動いて撮るのが好きです。静止してても撮影になった時に画面が動いてるのを見せたい。ある種の力がいいわけですよ。そのために実際に動いた方がいいのか。その辺が対象との関係ですよね。例えば『3+1』であの方法をとったのは全体のノーカットっていうのがあるので静止した部分もあるわけですよ。だからそれは逆に一つの筋で見せられる。僕が完全に自分の踊りっていう部分があっても、そうでないものもある。基本的に全体で考えるんで、そういう動きがあると思います。

ジェロー:大木さんという作家だけじゃなくて、場所の中の一つの身体として、そういう場所から浮き立つ感情を動くカメラ、それとも静止したカメラ、いずれかそういう場所で感じた気持ちとかを映像で表現する気がします。

大木:そうですね。だから一つの方法論でいうのじゃないですけど、やっぱり一つの感情の表現の仕方なんじゃないですか。アクションっていうものも全部それがいいっていうわけじゃないですし、いつも不必要に動いてる時もあると思いますし、物理的な条件でやっている時もあると思いますし、それはいろいろですけど。自分の中でその場その場でどっちがいいか分からない場合もあります。ただ基本的には動きは重要な要素ではありますよね。

ジェロー:その場にいることに関連している問題の一つは音です。特に録音の問題なんですけど。作品によって同時録音もありますし、完全にサイレントのもあります。他の作品は一応音がありますけど音楽が中心ですね。映像と音に関してはどういうふうに思っておられますか。

大木:それは難しいですね。僕は音楽が非常に好きなもんで、基本的に同録が一番好きだと思うんですよ。ただ16mmは同録がなかなかできない。もう少し緻密に音もやりたいんですけども難しいんですよ。だからあえてやってないと思いますね。そういう点では『3+1』は久しぶりに完全な同録なんで、僕としては非常に良かったですね。ベストかどうかは別として音楽については非常にいいと思いましたね。

ジェロー:音楽の使い方と関連してることなんですけど、大木さんの他の芸術家とのコラボレーションという点について。『Heaven』の中にも他の芸術家が登場してるし、『3+1』も他のダンスパフォーマンスとの共同制作で生まれています。イメージフォーラムの個人作家っていうと全部自分でやってしまうイメージがありますけど、コラボレーションは違ってくると思うんです。その辺はどうですか。

大木:僕は個人映画ってよく分かりませんけど。劇映画も基本的には他のスタッフと撮ってます。コラボレーションっていうと変ですけど、僕にとっては自然な流れです。山小屋で撮ってれば、山小屋にそういうの作っている人がたまたまいないから、でもある意味じゃ僕と空との共同作業になるわけじゃないですか。全部がアーティストってわけじゃないんですよ。その中に当然そういう人もいますが、逆に言えば良さとして高校生なら高校生とか僕の友達にもそういう人が面白いんで、そういう人が入ってくるって感じですよね。実際、今関心事としては一緒に作ってくっていうことです。例えば相手が空だったら僕がどうこうできますけど、向こうがこっちに合わせるってできないわけでしょ。だけど人であれば、向こうも一緒に楽しむってできますんで、それは普通劇映画の俳優もそうだと思いますけどね。ただ入り方として僕はすぐ役者に演技をさせるっていうより、出てもらってる全部の共同作業っていうコラボレーションて意識がすごくある。関わってくれる人が何か作ってるところを見せてくれるんじゃなくて、基本的にはそのある何日間かとかでの彼らのその場のパフォーマンスっていうの。別にそれが作品としてのパフォーマンスかどうか分かりませんけど。そういうことを僕がただ待っててやってもらうっていうよりはお互いに…、彼らのやる行動を見せてくれるものを今度僕もとらえる。それは一緒に。僕アーティストってものに限定は全然してないし、そういう意味での作業には興味ないところもあるんですね。人によって出し方の面白さって違います。絵を描くことは基本的には絵を描くことなんで、それを映画にしても面白くないと思うんですよ。その資質が面白さが何かの形で交わえばいいわけで、そういうものは絵描きじゃない人もいろいろ持ってるわけです。だからそういう点でたまたまアートに近いことであってもアーティストのコラボレーションていうふうに限定はしてないです。

ジェロー:このテーマは大木さんの特徴に関わってるんじゃないかと思うんですけど、特に最近の作品は映画を総合芸術として提示するような要素があるようです。特に最近の作品はビデオ、16mm、8mm、いくつかの違う映像を組み合わせたり、全部一貫した映像ではなく総合して組み合わせています。違う映像の技術を使うことの意味はどういうふうに…

大木:映画の技術そのものにはそんなには興味ないです。ビデオと16mmではかなり違うんですよ。僕はそれが分かってないですね。どういうものなのかってのは、試みに過ぎないんですけども。今は実験をいろいろやってみる感じに近いです。だから16mmだけでやる必要は感じないです。コンピューターとかも僕は実際やらないんですけども興味はあります。

ジェロー:大木さんの被写体に対するアプローチに関して、中期の作品によく出てくる若い青年がカメラに向かって眺めるだけのショットはかなり美しいと思います。それは視線のエロティシズム、カメラのまなざしの問題に関わってくるんですが、人を撮る時はどういうふうに…。

大木:大差ないと思います。夕陽をぱっと撮るのと同じ。ただ人を撮るのは正面で撮るのが一番、それはもちろん演出をしてもいいんでしょう。例えば夕陽を撮るのと同じ気持ちであればその時他の演技は必要ないわけですよ。スナップですよね。一種のスナップで撮る場合にある程度正面にして撮るのが一番まっとうシンプルなんで。

ジェロー:トニー・レインズが書いているんですけども、大木さんの作品では、被写体とつきあいたい、接したいことでカメラは口実になってくる、と。そういう大木さんと被写体の関係が映像の中に出ている。

大木:そうとも言えるんじゃないですかね(笑)。現実に実行してるかどうかは(笑)。

ジェロー:率直に聞きますが、作品の中に出てる身体の描き方、エロチックな場面の描き方、映画の中のエロティシズムについてどうお考えでしょうか。大木さんの場合実験映画だけでなくポルノ映画も撮っていますし。

大木:出来上がったものも美しかったり、エロティシズムっていうかどう分かりませんけれども、そういうもの好きです。自分がそういうもの撮りたいと思ってますね。それが最近のメインの撮りたいものであろうかどうかはまた違うし、やっぱりその辺がかえって初期の頃の短編とかの方にそういう思いがあったんでしょうね。

ジェロー:最近の映画は宗教的な様子が強くなってきたような気がします。

大木:そういう意味では最近のものはあんまりパーソナルではないかも。パーソナルってのはどういう意味かあんまり分かんないですけども、個人的な感覚をダイレクトに定着させようっていうふうにあんまり思ってないんじゃないですかね。だからなんとなくエロティシズムってことに関してもいまだに考えが変わってるわけじゃないんですけども。そういう撮り方にはなってないですよね、最近は。

ジェロー:それは海外の評価に関わってくると思いますけど、大木さんは海外で特にレズビアン&ゲイ映画祭で上映される機会が多いです。海外の評価はどう受け止めますか。

大木:本当に評価してくれる人がいいですよね。どういうふうに評価してるのかは分かりませんですけども。ゲイ映画祭っていうのもいろいろあるんですよ。僕の作品を本当に気に入ってるとこもあるし、どうなんだろうかなってとこもあるし。一種のカテゴリー的でゲイの作品だからっていうふうに見てくと、僕の最近の作品はとらえにくいと思います。だから僕の作品が初期の作品できれいなエロティシズムの部分で評価されるのはいいですけども。何かもっとそれ以外の要素で評価されたり、批判されたりしてもしょうがないけど。僕自身はバーバラ・ハマーとかと違うんで、それで何かしてやろうっていうのはない。僕自身は基本的に自分のやりたい事をやって、そしてやりたいことも変わります。それに対して外国の評価ってのはあまり関心ないです。一時かなりズレがあったような感じがします。例えば『3+1』という作品がゲイ・レズビアン映画祭でやられるなら、ちょっと違うと思うんです。しかし『Heaven-6-Box』もゲイの方の間でも気に入っていただいたし、本当に作品が好きで評価して下さるんならうれしいです。けど結果的にその枠組みで自分に変なイメージがついて見られるなって時もありますけどね。個人映画、実験映画って枠組み自体もそうですし。僕はイメージにのっとって作ってるのでは全然ないんです。そういう点では作品をちゃんと見てもらえて、悪口でも何でもいいんですけど。最近の僕の作品はかなり日本的な作品だと思うんですよ。かなり外国の人には理解しにくいじゃないかなって思う反面、逆に僕がやりたいことは日本の社会論じゃないので、外国の方でも素直に感じてくれる人もいるし、その辺が面白いことになってるなとは思います。それが一般的にどうなるかっていうと、結構難しい所に僕の映画はあるんじゃないかなと思います。今日本の映画が外国で評価されるのってどういうことなのかなって思いますけどね。でもそれは日本の中でも当然同じですけどね。映画が人間にとって結構難しい位置にいるんじゃないですか。

ジェロー:海外でゲイ作家であることはかなり政治的な立場を期待されるんですが、日本はちょっと状況が違うと思うんです。大木さんは自分の立場をどうお考えでですか。

大木:自分はゲイ作家であるとはあまり意識してないですね。自分自身の映画だけに限らず自分のセクシュアリティに関しては非常に複雑です。自分がやろうとしてることとセクシュアリティってことは、ゲイに限らず今僕すべての領域に対して分からない領域をとってるわけです。基本的に僕はある種の表明するような映画を撮ってるわけではなくて、むしろ正反対なんです。あらかじめ固定されたものを撮影することをしてないんで、当然ゲイ作家としてどうのってこともないし。それだけに限らなくてセクシュアリティってことに関しても僕自身分からないですね。最新作は『心の中』って映画を撮ってるんですけども、これもセクシュアリティに関係してる映画だと思うんですよ。出てくる人もみんな完璧にゲイの人なんですけども、僕自身は自分がゲイとしての自覚ってあんまりないんです。ゲイってのが何かってのも分からないし、もっと僕の場合は西欧的な概念で言えばバイセクシュアルっていうのに近いんですよ。セクシュアリティに関して、日本の場合は逆に大っぴらにされないですしね。セクシュアリティの考え方はいろいろあると思うんですよ。曖昧ではいけないっていう考え方もあると思うし。僕は映画のせいでこうなってしまったって気もする。

 でも少なくとも僕が描きたい触れたい部分はセクシュアリティのことなんです。だけど自分はこうだけど世の中が違う形では、それはゲイだけじゃないんですけども、そういうとこでは動かないんです。そういう点で海外のゲイのことをすごくいろいろ感じるところがありました。この間もハンブルグのゲイ&レズビアン映画祭に審査員で行ったんですよ。それもすごく面白い体験でしたね。でもやっぱり西洋と日本の違いも感じますね。日本でもゲイって言いますけど、それこそゲイってのは外国語なわけじゃないですか。だから僕は日本のセクシュアリティってことも違う形だったと思いますし、その辺も含めたのが実は僕の今のテーマなんですよ。セックスだけじゃなくて西洋と日本であったり近代と古代であったり。特に僕は今、日本ていうのがすごく複雑だと思うんですよ。案外ゲイが一番ゴチャゴチャしちゃってる。ゲイリブなんて簡単に言いますけど、そういう歴史は日本にはまだ全然ないです。ゲイっていう概念自体、社会の中でよくできてないわけですよ。自分がゲイだって言ったって社会の中で言ってるわけじゃなくて、個人のことを言うわけじゃないじゃないですか。だから僕はまだ少なくともそんな事は言えない。ゲイに関してだけじゃなくてセクシュアリティなんてものが、日本の社会が悪いって言ってるんじゃないんですよ。ただ西洋のようには絶対できるわけない。その辺で日本のセクシュアリティに関する発言っていうのはもうちょっとデリケートであるべきだと思う。僕自身は逆に言ったらゲイの代表なんて、正反対に近いと思って、僕はその点でアバンギャルドだと思っているんです。表現で曖昧であったり、ごまかされやすいところを露わにしたい部分もあるんで。だから僕はもうゲイであることを明らかにすること自体、何の意味もないとは言わないけど、社会的なもんてのは意識はもっと他の所に行っていると思うんですよ。このセクシュアリティの問題っていうのはゲイであるかないかってのは、これは非常に重要な問題ですよ。ゲイの運動がいけないとかって言ってるのでは全然ないんですよ。

ジェロー:大木さんは例えば建築に対して反対的な立場をとっていたようですけども、それはあるまとまった形になったりしたわけでは…、

大木:いや、それはやっぱり引っかかってきますよ。全部が一緒だと。建築ってことも僕が小さい頃にやりたかったのは個人的なことじゃないですか。でも実際に建築の制度ってのは社会的な行為ですよ。例えば昔は地域の中で家一軒建てるのは非常に大事なことでした。非常に長い時間かけてコツコツと建てたわけですよ。だから自分の家をもっと大事にするし、周囲とももっとダイレクトに関わりながら作ってきたと思うんですよ。200年300年前のことですよ。一軒の家ってのは自分の家では済まないし、そこに個と社会の関係が密接にあったと思うんですよ。隣の家ってのは非常に大事だったと思うんですよ。昔の場合はいろいろで制度もあるし、そういうもの全部何て言うのかな、個人的でありかつ社会的だと思うんですよ。今より家ってのをもっと大事に作ったと思う。集落の中での社会がもっと重みがあったと思うんですよ。でも今は建築もその辺がメチャクチャになってきちゃった。

 基本的に僕は映画と建築は似てる部分があると思うんですよ。総合的っていうか。僕はやっぱりそこに興味があるんでしょうね。だから映画に関してもそこから他のアプローチもできると思うんですよ。僕は映画の持ってるものってのはある種の全体っていうか真実っていうかもっと総合的なものをとらえるものだと。それが僕の考え方なんです。特に僕にとってセクシュアリティってのはある意味で大きなテーマで、性と政治ってのも一番のテーマなんですよ。結果的には建築っていうのも社会と個人との全体像ですよね。そこで自分の喜びもあり、自分の喜びにもパブリックなスペースがある。道ってのもそうですね。個人の道ってのじゃなくて人が歩く道を自分も歩いたり知らない人が通ったりとか、僕自身はそこに豊かさを思うんです。個人的ってことはすごく社会的なことだと思うんですよ。ゲイなんてのも当然そうなわけです。逆に個人的であればあるほど社会的になってくる。

 僕不満がある方なんですよ。今おかしいと思ってるんです。それがあるんでそれが建築やるよりは、映画の方がより直接出ると思うんですよ。その辺がセクシュアリティに関しても、今の言い方が誤解を招くかも知れないんですけども、最近のゲイって言葉は使いたくないですね。持っている意味合いがすごく曖昧だってのも実感する。非常に単純っていうか。今度『玉遊び』(1997年)って映画を観て下さる方はまだいいんですよ。だけどその人、映画を観るわけじゃないですか。映画の持ってる社会制度を、僕の持ってるものを歪めて見ちゃう部分もあるんですよ。

ジェロー:社会と個人、現代と古代、そういう問題に関わってくのはもしかして、大木さんの東京から高知への移転に関わってくるのではないですか。普通に実験映画作家、ゲイ映画作家は大都会で活躍している、これは典型的なイメージですけど、大木さんは高知という日本の田舎と言われている所に行くのは一体どういう意味を持っているでしょうか。

大木:それはものすごく深い関係があるんだけれども、高知に対する考え方ってのと当然一番密接なことなわけです。でも田舎ってのとも違うんですよ。別にノスタルジックなつきあいじゃない。高知も僕は市内に住んでますし、東京ほどじゃないけど高知は都会なわけですよ。だから僕はさっき数字とか光とか政治とか社会とか言いましたけど、全体像として高知っていうのはすごく面白い所なんですよ。それは『Heaven-6-Box』とも関わりあるんです。僕の考えではかなりトータルなものなんです。建築もそうですよ。政治も関係あるんですけど、当然木材とかコンクリートとか材料から全部一緒になってきてる。

 僕の中では光っていうものが非常に重要です。光が何をするのか、政治と何が関係あるのか説明は難しいと思いますけど、でもあると思うんですよ。高知の光ってのは非常に、強いんですけども透明感がある。非常に独特の光で。で、僕は映画っていうのは光を捉えるんだと思ってるんで、僕にとっては、政治とか真実っていうのは、実はその光を通してかなり究極的なメディアだと思うんですよ。人間にとってのですよ。そういう点を含めて実際高知っていうのは、非常に光も東京の光と全然違うんですよ。どっちがいいとか悪いとかってことじゃないですけども、僕の考える上で、やってく上で根本的なことですからね、光ってのは。それが反映してか、光と同じで高知のお酒ってのは非常に辛口なんですけども透明感があって、人間もそうですよ、政治も政治家もそうだし、文化もそうですし、それは極端な話ですよ。一番分かりやすいのが光ですけど。それが動きであるとか憂鬱であるとか歴史があるとかってことになってくるわけです。

 それでなぜ高知かって言われると…。僕の親が岡山で、小さい時からよく岡山に行ってたんです。そういう原体験があって、山小屋があって結構いろいろ放浪してた時期があった。いまだに自分は東京の人間だと思ってますけど、ただ自分が舞台として活動していくには、やっぱり好きなところですね。映画として、僕はやっぱり高知が一番面白いと思いますね。特に映画を撮る以上、僕にとってほとんど必然的な要素になってくると思いますね。ただ今描かなきゃいけない点で高知がいいっていうんじゃなくなってきましたけどね。

ジェロー:高知にもちろん光もあるし、自然、大木さんの作品によく出てくる川、海、そういうような題材もあるんでしょうね。

大木:それはもちろんあります。一番映画として分かりやすい原点が光ですけど、当然全部のことを含んでいるんですよ。当然高知だけじゃなくて、四国でも違うんですよ。そんな所をきっかけにして日本論だとか世界論だとかを描きたい。僕が思ってる現在の中の一番光のはっきりしてる部分ていうのをまず提示することで、実際自分も生活して、その辺が僕が描きたい現代っていうんですか。だから他の何よりもまず光であることの方が決定的なシナリオです。光量とかも人に光あてたりとかそういう問題じゃないと思うんですよ。一種の美学としてそうかも知れないですけど、美学の問題じゃないですね。それで前のインタビューでも、それで結局高知の男が好きなだけじゃないかって言われますけど(笑)。そういうのも結局あるのかも知れない。ただ最近それが理念としてあって、どこまでそれが実現できてるか分からないとこあります。でも重要な問題だと思います。最初が、写った時が直感だったですけども、やっぱり撮るにしたがって。だからそう意味で僕は映画が先にあるんじゃないんですよね。なんか映画がある真実を、だから僕はドキュメンタリーをやっていると思うんです。映画が何かを写す。それが僕の基本の考え方。現実と映画で、映画の方が弱いとは思いませんけども、あくまで何かが写るわけですから、その写るものがなければ始まらないわけなんです。

ジェロー:大木さんは現実とおっしゃいましたが、昔の社会派が撮った現実ではなく、かなり実験的な要素もあるんですが、宗教的な面、宇宙も撮ってるような気がしたんですけど。大木さんの現在、現実、宇宙に対する考え方は何でしょうか。特に若い作家でそういう宗教的な要素を入れる人は日本にあまりいないでしょうね。

大木:実際的に僕の場合はかなり日本的なものじゃないかと思いますけど、仏教だか何だかよく分かりませんけども。一種の自然崇拝みたいなところありますね。特に、また言いますけど、光を通しての撮影作業が、宗教行為っていうかカメラを光に向けるわけじゃないですか。人間が祈るときにいろいろな儀式があるんじゃないですか。僕にとってカメラを光に向けて撮るってことが、実際的にはそういう行為に近い部分がありますね。実際光とアレするわけじゃないですか。だから無になるってのもそうですけども、例えばお遍路さんとかあるじゃないですか。もうちょっとアクションとしての行(ぎょう)、じゃないか、そういうとこが特に自分の中に初期はありましたね。分かんないですね。セクシュアルなものもあるわけですし、そんなスピリチュアルなものじゃないと思うんですけど。『3+1』でもやっぱりありますね。最近はだから僕の個人のまなざしっていうよりは場所自体というか状況というか、スピリチュアルな場所にして呼応させるみたいなことを映画がとらえると思うんですよ。

ジェロー:場所の問題で最後の質問をさせていただきたいんですけど。『3+1』は山形映画祭のインターナショナル・コンペティションで上映されることになりました。タイトル自体は場所に関係していると聞いたんですが、三つの場所プラスもう一つの場所とか。作品に関して、場所をどういうふうにとらえようとしましたか。

大木:もちろん場所ってこともあったんだけど、時期的なことっていうか、ライブのパフォーマンスを撮るっていう次元に分けたいっていうのもあったんですよね。何か根本的な違う層のものっていうのをイメージしたいっていうのがあった。

 僕の中では、川のいくつかがありました。沖縄には川がないってことはイメージがあったんです。高知ではすぐ近くに川が流れてたんですよ。わりときれいな川です。名古屋では結局、最初は木曽の三川ってのがあって、コラボレーション自体はそこから始まってたんですけど、川には行かずに街の中心でビデオで撮ってたんですよ。それで最後の方で白墨を使って中心街で字を書きまして、そしたら急に夕立が降ってきて舗装道路が全部流れていったんですよ、白墨がね。それが川だったんですよ。そういう点では僕が数字に関してやったことが結構、その通りって言ったら変ですけど。全部4日間なんですよ、撮影が。ともかく川が流れ出してって字が滲んでそれが川になったんですよ。

 それで一番最後にコラボレーションが行われたんですけども、それは83分ですね。その83分っていう全体を川ととらえたんですよ。僕らとしては出演者たちが毎回川を探して川と触れ合って、最後のコラボレーションの撮影の時に、完全に現実の川の撮影者のように、川に僕たちが行ってたように、川と見なしたんですよ。だから最初から川と遊んだり川に入っていったり、川の層、人間の83分のコラボレーション自体を川と思ったんですよ。そこら辺は最初は曖昧で、最初のうちは皆さん、とにかく何かの形でいつも思ってたんですよ。僕の映画としての『3+1』っていうのがその舞台「舟の丘」との関係がそこではっきりできたんですね。そこですごく明快になってコラボレーションをも全体の川の流れとして、ないとこから流れてるとこから、生活の川というかもっとフィクションとしての人工のできた川、最終的に作り出す川みたいな人間として、それが4種類の川をとにかく僕たちが同じように人間が出会って何かアクションを起こしてくっていうスタイルで一環できたんですよ。だからそれが自然にいったんです。お客さんにどういうふうに伝わってるか分からないところもあるんですけどね。動き回ったりしてるのは、その空気はとらえたと思いますね。一つ一つで見ると違う情報も出てきちゃうんですけど、もっとトータルでそのコンセプトがそこにできたと思いますね。

 


大木裕之 Oki Hiroyuki


1964年、東京生まれ。1988年、東京大学工学部建築学科卒。イメージフォーラム付属映像研究所で映像製作を学び、3時間に及ぶ長編映画『松前君の映画』(1989)を発表。『遊泳禁止』はイメージフォーラム・フェステイバル1990で、審査員特別賞を受賞する。1991年より高知に移住し、1992年に『ターチ・トリップ』を監督。1994年には初の劇場用35ミリ映画『あなたがすきです、だいすきです』を監督した。1996年に高知県立美術館の製作で『HEAVEN-6-BOX』を発表、同作品は1995年のベルリン国際映画祭に出品されネットパック賞を受けている。最近は上映と音楽のライブ・パフォーマンスにも関わっている。