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中国ドキュメンタリー四海我家

中国 ― オーストラリア・ドキュメンタリー ワークショップ
(1997年7月11日〜13日、北京)の報告

クリス・ベリー


今年の7月11日から13日の間、〈中国―オーストラリア・ドキュメンタリーワークショップ〉が北京で開催されたが、これは図らずも中国中央電視台(CCTV)が大々的に開催する国際ドキュメンタリー映画祭にさきがけた企画となった。このイベントは参加者全員にとって画期的なものであった。最終日の総括にあたって中国人の参加者たちは、海外のプロフェッショナルと直接作品や技術について具体的かつ実際的に論議する機会は今回が初めてだったと強調した。国際映画祭の過当競争も理由のひとつだが、中国では、月末に開催予定のCCTV映画祭のような従来型の公式の大規模イベントにあっては、このように緊密な交流は不可能だったのである。参加者の一人は「歴史的な第一歩である」とまで評した。一方オーストラリアからの参加者は、比較的小規模で熱気に満ちたこのイベントを通じて、急速に発展しつつある中国のインディペンデント・ドキュメンタリーについて多くを学ぶことができた。その一つは「インディペンデント(独立)」という言葉は、中国では依然として少なからず政治的な意味合いを持っている。これは世界でもあまり類をみないことであり、そしてこの状態が、中国のインディペンデント作家に与える影響もまた無視できないものである。

今回のワークショップは、中国の二人の若手女性ファッションデザイナーを追った新作『毛主席の新しい背広(Mao's New Suit)』を完成させたばかりのオーストラリア人ドキュメンタリー作家、サリー・イングルトンと、映画学の講師クリス・ベリーによって企画された。北京のオーストラリア大使館の後援を受け、中国記録映画協会(中国記録片学術委員会)と北京テレビが主催する運びとなった。さらに、パートナーのロビン・アンダーソン共々CCTV映画祭に参加が決定していたボブ・コノリー(『黒い収穫』を含むジョー・レイの三部作と『Rats in the Ranks』の監督)もベリーとイングルトンに同行した。中国側からは、北京テレビのドキュメンタリー作家や、インディペンデントの映画作家として世界的に知られる呉文光(『流浪北京―最後の夢想者たち』、『私の紅衛兵時代』、『四海我家』)や蒋越(『彼岸』)、段錦川(『青朴』、『広場』、『八廓南街16号』)らが参加した。

過去2年間にわたる対話において、呉文光や蒋越、段錦川らも含めた中国のインディペンデント・ドキュメンタリー作家たちは、自身がこれまでのアマチュアで非公式な映画製作からプロフェッショナルな方向へと移行しつつあり、そうすることで国内外の確立された映画界へ参入することができると語っていた。また、イングルトンとベリーは、オーストラリアのドキュメンタリー映画製作には、多くのインディペンデントのプロデューサーと監督の共同作業による長い伝統があり、その知識と経験を具体的かつ有効に生かせば、基礎を築く交流になると感じた。コノリーも、初めて中国を旅行した折に目にした中国の作品に大変感銘を受けながらも、これまで誰も見たことのない中国を世界に発信しようとする映画作家たちの明るい将来のためには、もっとプロ化することが必要だと感じていた。

11日と12日の両日、北京テレビの本社で公式会議が開かれ、13日には中心人物たちによる非公式な会合が北京市内のバーで行われた。このバーのカラオケのモニターでは映画が上映されていた。11日は、中国とオーストラリアのドキュメンタリー映画産業の概要について説明がなされた後、イングルトンの『毛主席の新しい背広』の上映が行われ、好評を博した。イングルトンは、まず作品をテレビ局に売って資金を調達し、その後彼女の美学や倫理観上妥協することなくより多くの観客に見てもらえるように努力しているインディペンデント作家である。中国側の参加者は、テンポ良く面白い作品を作るための彼女の工夫や映像の編集といった異なった手法に非常に驚いていた。特に、ダイエジェシス外の音楽(訳注 作品の演出効果上、後から意図的につけ加えられた音楽のことを指す)の使用に関して多くの質問が寄せられていた。中国人映画作家の多くは、ドキュメンタリーをより純粋主義的に解釈しているため、このような効果を避ける傾向にあったようだ。イングルトンは、対象を意図的に操作しないように細心の注意を払っているとしながらも、ドキュメンタリーとはドキュメンタリー作家の表現であると信じ、純粋主義者が避けがちな工夫も取り入れていると語った。さらに、インディペンデントとは、純粋主義とメインストリームのドキュメンタリー表現の二者択一の問題ではなく、表現の可能性を追求することにあると強調していた。

『毛主席の新しい背広』の上映には、主役であるデザイナーの郭培と孫鑑も参加し、イングルトンとの現場の様子や映画への感想などが活発に論議された。デザイナーの二人も中国人の参加者たちも、この気取らない愉快な描き方に驚き、また楽しんでいる様子だった。この10年間で、中国のドキュメンタリーは製作者側が詳細にわたって脚本化し、企画を綿密に練って製作するという手法から脱却しつつあり、CCTVの『東方時空』のようなテレビ番組は、今風のインタビューと気負わない表現で視聴者から熱狂的に支持されている。それでもなお、中国の映画作家たちが「体面」を気にするあまり、イングルトンの作品に見られるような型破りな表現に抵抗を感じているのは明らかである。たとえば、郭培は彼女の上司に失望したと言ったことや、デザイナーの二人ともファッションコンテストで他の参加者をけなしている様子は、中国の女性観においては慎みのない行為とされているのであろう。

イングルトンと郭、孫の二人が、作業を進行する中でどういう関係であったかを論じているうちに、対象と共に仕事をする倫理こそが、今の中国人監督たちにとって重要な問題であることが明らかになってきた。午後から中国初の女性のインディペンデント・ドキュメンタリー作家、李紅の最新作が上映され、この問題がますます浮き彫りになった。今年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映される予定の彼女の作品『鳳凰橋を離れて』は、撮影に2年間もかけた、2時間の力作である。安徽省鳳凰橋村出身の4人の若い女性が、北京に出てきてメイドとして働くところから話が始まる。北京での暮らしも仕事もかなりつらいものであるが、彼女たちの人生においては、結婚のため村に戻るまでの、素晴らしく自由な時間なのである。

何よりも、彼女たちは自身の性体験について非常にあっけらかんとしている。上映後、「もしこの映画が中国国内で放送されて彼女たちの両親がこれを見たらどうなるか」との質問に対しては、李も「大変なことになるだろう」と答えていた。これに関連して、上司に対する郭陪の愚痴を映画に取り入れていることについてイングルトンは、郭陪が撮影終了後その会社を退職しているからだと説明した。もちろん、李の作品は非公式に撮影されたものであり、中国で放送されることを前提にしていない。しかし、今後中国のインディペンデント映画界をプロ化していくにあたって、撮影対象に対する映画作家の責任と契約についての問題を解決することは急務である。

12日にはボブ・コノリーの『黒い収穫』が上映され、大好評を得た。続くディスカッションで、コノリーは最新作『Rats in the Ranks』の編集に18ヶ月かけたと発言し、ここで二つ目の問題点が浮き彫りになった。中国では、編集が映画製作において創造的な作業であるという認識がほとんどなかったのである。これに対してコノリーとイングルトンは口々に、編集は創造の過程においてもっとも重要な作業であることを強調した。ここでコノリーは彫刻にたとえて説明してみせた。撮影とは、採石場から大理石の塊を選ぶ作業に似ている、しかしその後作業所で削り出す作業を経なくては、その彫刻、つまり映画は完成しない、と。

これ以降のワークショップで中心となった話題は、これまで中国には編集作業が存在しなかったということであった。中国のインディペンデント映画の多くが、長編・ドキュメンタリーの両方ともどことなく纏まりが欠けている印象を与える原因はここにあったのである。他にも、中国では元来映画とは文学の大衆化のメディアであり、脚本がそれなりに重視されていること、また、検閲のため一旦脚本が許可を受けたらその後大幅な変更は認められなかったことなどが原因として考えられる。どちらも直接にはドキュメンタリーには関係ないが、映画文化全体に影響を与えたことには間違いない。結果、今日に至るまで、北京電影学院にも独立した編集学科はないのである。

イングルトン、コノリーの両氏は、李紅が撮影した素材に大変感銘を受け、中国人女性ならではの視点であると絶賛した。しかし二人とも、この作品が完成版ではなく編集途中であるような印象も否めないとした。中国の映像作家たちは、どのようにして編集者が監督との創造的な共同作業に取り組むのか大いに興味を持ち、ワークショップの参加者全員が、今後このような機会で最優先すべき課題は編集のワークショップであることで合意した。その他技術的な面では、あまりにも多くの映画作家がカメラマイクに頼っている現状や、大半の映画が三脚で固定したカメラから撮影されていることを踏まえ、音響や撮影技術に関する対応も必要であると確認した。中国側の参加者は改善すべき点をよく理解しているが、未だ中国にないラジオマイクやDVCカメラの使用に精通することの必要性をことさらに強調していた。

12日の午後には、1997年パリのシネマ・ドゥ・レエルでグランプリを受賞した段錦川の『八廓南街16号』が上映された。三部作の一部であり、段錦川自身がフレデリック・ワイズマンの作品にインスパイアされたと語っているように、対象を純粋に観察した作品である。中華人民共和国の最小の政治管轄である郷・鎮人民政府(訳注「隣組」のような組織)の活動が中心であるが、舞台となっているラサの八廓通りは、これまで数多くのデモが行われた、特に政治的に微妙な場所である。映画はチベットの「独立運動」一周年記念の祝典で終わるが、本題は政治ではなく、日々の行政にある。純粋に対象を観察する手法は、ナレーションや脚色がない分検閲にかかる恐れも少なくなるので、現在の中国の情況下では特に有効である。

『八廓南街16号』が革新的なのは、単にシネマ・ドゥ・レエルで賞を取ったからではない。中国ドキュメンタリー界のプロフェッショナル化を大きく推進したからである。まず、段は多くの中国人映画作家とは比較にならないほど、編集に長い時間をかけた。過去の経験を元に、彼はカメラマイクは使用しないほうがいいということや、放送に耐えうる作品を作る技術について完全に理解していた。次に、この映画は非公式ではなく、正当な手続きを踏んでチベット人プロデューサーと共同で製作されていることがある。作品の内容とは関係ない話であるが、こうした手続きを経たことで、パリでの成功後中国政府からも容易に受け入れられ、実際数日後のCCTVのイベントでも上映されるに至っている。段の作品とそれにまつわる一件は、中国のインディペンデント・ドキュメンタリー作家の明るい未来にはずみをつけるものである。

第3日目の非公式なミーティングでは、炭坑を舞台にした蒋越の作品など、ワークショップで扱ったその他の映画作家の作品が話題になった。事前のディスカッションに続き、編集の可能性についてさらに論議が展開された。いよいよ終盤のこのミーティング中で、将来的に重要な意味を持つであろう情報が新たに確認された。今年CCTVは初めて社外のドキュメンタリー作家と契約を交わし、彼らの作品を放送するというのである。従来、中国のテレビ局のすべてのドキュメンタリー作品は社内で製作されており、これがインディペンデント勢の成長を妨げていたのは明らかである。本年度CCTVが製作を委託したほとんどは他のテレビ局であるが、その中には蒋越や段錦川も含まれている。蒋越は今後も炭坑でのプロジェクトを進める予定であり、一方段は、1894年の日清戦争で大連に沈んだ中国戦艦を引き上げ、観光名所にしようと奮闘する中国北東部のある企業家を描いた『沈没船(仮題)』の撮影中である。この作品を通して、資本主義と国家主義や愛国心が交錯する現代中国の姿を模索することが段の望みである。

(訳:曽根まゆみ)

 


クリス・ベリー


オーストラリア・メルボルン市のラ・トローブ大学映画学科講師。 1980年代後半に中国に在住、現地の映画業界に勤務。 『Perspectiveson Chinese Cinema』(BFI出版、1992年)の編集の他、国際的なレベルで中国映画について多くの論文を執筆。 1995年、NETPAC(アジア映画振興ネットワーク)のその年のアジア・ドキュメンタリーのセレクションのキュレーターをつとめた。