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デジタル技術の時代におけるドキュメンタリー(3/7)

3. 配給・興行


中野理惠(パンドラ代表、YIDFF '99「アジア千波万波」審査員)

DB:デジタルはドキュメンタリーにどう影響を与えますか?

中野理惠(以下NR35mmから16mm、8mm、そしてビデオになるにつれてドキュメンタリーをつくる人はどんどん増えてきたし、作りやすくなっていると思う。それは、〔カメラが〕人間の動きにより近くなったから。より対象に密着して、いい映像がほしいとなったら、ビデオを使う方向にどんどん進んでつくる、というのは当然のこと。だからドキュメンタリーをつくる上でビデオができたことは画期的なことで、さらにデジタルになると、費用も安いし映像も美しいし、よりハンディになっているでしょう。

 それから、劇映画とちがってドキュメンタリーというのはすごい膨大なフィルムをまわさないとできないし、作り上げたからと言って、製作費をまかなえるだけの収入を上映会なんかで当てこむことができない。この2点から、やはり安いということは、絶対的な条件。だいたい60分以上のドキュメンタリーをつくるとしたら、16mmでまわした場合はどんなに切り詰めても最低2000万、3000万円かかったのが、それが数百万単位でできるようになったから、4分の1か5分の1にはできるからね。

DB:35mmにブローアップして上映することに関しては?

NR:それには疑問があるのよね。デジタルで撮ると、汚れがなくてきれいすぎるし、小さい〔モニター〕画面で撮っているから、35mmや16mmで撮ったのと、サイズがちがうね。カメラのサイズはスクリーンサイズと必ずつながるなー、と思うこともある。

 それと、みなさん上映の場が少ないから35mmにブローアップするんだろうけど、費用はすごくかかるわけよ。デジタルの上映の場は、東京だって劇場で2つくらいしかない。フィルムを見慣れている人間にとっては、全然ちがうものに見えてしまいます。デジタルはデジタルの作品として認知されるべきだと思っているから、上映の場がないっていうのは、すごく大きな問題ですね。ミニシアターができても座席数そのものは少ないから1日であがる売上が少ない。そうなると、もう簡単な計算ができるわけ、特に日本みたいに土地代が高いところは。だから配給も興行も資金的には大変なわけよね。

 パンドラは今のところ映画中心ですけど、たまにはビデオの作品も手がけますよ。でも現在の配給体制では、すごく流通が大変。少し前まで上映はベーカムだったけど、今デジベータでしょ。デジベータで上映できる所少ないし、劇場はどんどん設備を作り変えられるわけじゃないから、設備投資上資金が大変な部分もあるし、お金が追いつかない。作る人が作品の最初にいて、見せる人が最後にいるとしたら、おしまいになるに従って、お金が大変になっていくの。じゃあ家庭用のVHSやDVDにおとして売るかとなると、もっと流通が大変ですね。

DB:デジタルの導入でパンドラの仕事面は変わりましたか。

NR:メールでは、考慮の時間が短い。あと、ウソをつけない。今郵便局に行きました、さっき送ったはずですけど、とか(笑)。便利は便利だけど、ゆとりがなくなったというか。考慮して自分の思っていることを伝える方法としては、あまりにも速すぎるし、怖いのは、Eメールは送っちゃったら変えられないし、まちがって届く場合もあるでしょ。事務的な仕事でもそうですから、いわんやそうでない場合はEメールはやめてるの。金額の細かい交渉なんかは絶対やらない、全てファックスですね。混乱はすでに起きているんじゃない? パンドラっていう会社は世界中にいくつかあって、ドイツとパリと、英国には出版社が。〔Eメールやファックスが〕来ますからね、まちがって。

DB:最後に、今回映画祭で審査員を務められて、作品全体でデジタルについて考えられたことをお聞きしたいと思います。

NR:作品の出来、不出来は技術じゃなくて、撮る人の意思の問題です。撮る人が、何を撮りたいか、ということがはっきりしていれば、フィルムであろうと、デジタルであろうと、いいものはできる、と思いました。でも『ハイウェイで泳ぐ』(呉耀東監督/1998/台湾、YIDFF '99「アジア千波万波」プログラムで小川紳介賞受賞)みたいな作品は、デジタルの方が撮りやすかったんだろうな、と。カメラが本当にプライベートな関係のなかに入り込んでた。だけどその背景には、撮る監督だった人と、相手の人〔大学の同級生だった〕との間の、個人的な交流があって、そのなかにカメラを入れてもいい、という関係を作り手の方が作り上げたっていうのが、作品に現れたんだと思うの。

 これから求められるのは、何でも撮ればいいというわけではない。際限なくまわしてしまうから、何を撮りたいかということをきちんと作り手は常に考えなければいけないということ。もう1つは、カメラを向ける対象者に対して配慮すべきプライバシーの問題ね。撮られていると気づかなくて撮られてしまう人も大勢いる。デジタルだとそんなに明かりがなくても撮れるわけよ。いつの間にか自分の知らないところで撮られていて、知らないところで知らない人の手によって知らない作品の中で使われているっていうことがこれから起きてくるんじゃないかと。しかもコンピュータがこうやって普及して、それをパッと世界に流せるようになったんだからね。この2つはたぶんこれから問題になると思う。どちらも、個人の撮り手側の知性や良識の問題だから、規制はできないだろうけれど。