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日本のドキュメンタリー作家インタビュー No. 14 河瀬直美(2/2)

G:1つ前に戻って話してみたいのは、これももしかして僕の勝手な想像だけかもしれないですけど、特に『パパのソフトクリーム』とか『幸福モドキ』(1991)とかを見るとどうしてもなんか少女まんがの世界をちょっとくらい感じるんですね。なぜかっていうと、ある程度日常的なものに感情的な意味を感じ取る側面 、それとも内面的な世界を話すヴォイスオーバーとか、大人の性とかがでてこない、そして全てのものはある程度生命を宿ってるっていう感じ、それら少女まんが的な要素があるって感じがしますが、結構少女まんがは読みましたか?

K:読みました(笑)

G:誰が好きでしたか?

K:今でも読んでるのは、別冊マーガレットとか。紡木たくさんとかくらもちふさこさんとかそういう少女まんが。名前ぱっと出てこないんですけど、あういうタッチの絵が好きだった。

G:これは別に少女まんが的な問題だけじゃなくて、もしかしたら世代的なものでもあるんですけど、『幸福モドキ』とか、ほかの作品にもそういう優しい幸せな世界が表面 に出てくるんですね。でも、裏に何か虚無な世界とか、何もないかもしれないという恐怖とかが河瀬さんの作品によく出てくるし、それなんかは少女まんがの中にもよく出てくる。

K:(笑)わからない。少女まんが、そうやって分析したことがなかったけど、でも好きだったからそうなのかもしれない。そうですね。

G:人は河瀬さんの作品を見て、特に初期頃の作品を見て、そういう幸せな側面 とか優しい側面を強調してるんですけど、でもいつもそういう崩れていく危険性が潜んでいるわけなんですが、それは、意識的に取り上げましたか?

K:私はずっと学生時代も元気な活発な子だったんですよ。中学校とか高校とか。クラスでも、リーダーシップを執って学園祭をしたりとかするほうだったんだけど、実は小さい頃、おばあちゃんが幼稚園に送っていってくれるんですね。おばあちゃんが帰るのが嫌で門のとこにしがみついてずっと泣いてたりとか。もう世界から出たくない、怖くて。家というところから出たくない子どもだったし、なんかすごい人見知りだった。聞くところによると赤ちゃんの時は、男の人が触ると泣き出して触れさせもしなかったって。ま、父に対して何かがあったのかもしれないんですけど。そうやってこう人を拒絶する何かがあるみたいで、ちっちゃい頃は体も弱くてすぐ扁桃腺腫らしたりとか熱出したりとかしてて…。それが小学校、中学校、に入って、学校という社会に出てしまった時に、たぶんそれが勉強だったりとか体育だったりとか結果 を出せば認められるっていう社会に入っていくんですよ。そこで自分の存在意味を確かめるんですね。活発でいい子を演じていれば私が存在できてるっていう感じでしたね。で、中学・高校と来て専門学校で映画を撮り始めた時に描く世界が優しく幸せな部分なんだけど、それが実は嘘の世界みたいな(笑)。

G:だから“幸福モドキ”。

K:モドキ(笑)…でしたね。でもだからといって前に向かって、未来に向かって不安感を抱いているのではなくて、自分でその不安を取り除きながらちゃんと前向きに自分の足で歩いていこうっていうポジティブな気持ちがあるんですけど。それが実はしんどい(笑)。なんか「全部嘘なんじゃない?」ってやっぱ常に思っているところがどっかにある。それがなぜなのかが、もし分かれば、私は映画を撮ることやめるかもしれない。特に最近の作品になって顕著にでる生と死。必ず私がいなくなるのだ。必ず目の前のものがなくなっていくんだっていう、なんかそのことがね。ものの原理というか、すごいはかないというか。

G:初期頃の作品もそうなんですけど、日常の生活、特にある程度反復とか繰り返しによってできた日常の生活は1つのテーマになってるんでしょうね。だから作品の中にそれをどういうふうに考えればいいかというのは1つの問題になってるんじゃないかと思うんです。『女神たちのパン』(1990)の中で、真面 目で毎日授業に行って、その子はもしかしてそれは良くないことかもしれないかもしれないと思い始める。でも最後の方ではプールのメタファーがあるんですけど、学生たちがプールに入って、一緒にぐるぐる回ると、1つの流れができて、1人が止まって流される。しかし、それも1つの楽しさがあるんじゃないですか。だからそういう両面 性があるんですよ。そういう日常の中の反復はもしかして嘘かもしれない、良くないかもしれない。でももう一方ではそれも1つの幸せじゃないかというそういう側面 はでてくるんですけど、結局はどう思いますか? どっちの方が(笑)?

K:結局は、やっぱりプールのぐるぐるには巻き込まれたくない。だから私自身は非常にエキセントリックっていうの? なんか自分自身の思い、私というものを前に出していく人物だろうし…。なんかこう周りに巻き込まれていって、最初はそこで耐えて笑顔でいられるのかもしれないけど、だんだん自分の表情を失っていくということ。その恐怖の方が勝って外れてでもやっていこうという、安住を許さない感じが…。

G:そういう日常的な幸せが崩壊することは、1つの両面性もってるんですよね。1つはもちろん死に向かってるかもしれないですが、それと同時に1つの反復を断ったというところもあるんじゃないか、というふうに思うんです。『女神たちのパン』の最後では2人は信号を見てそういう反復している。いつ信号が終わるか、終わったら「やったー」とかいう喜びもあるわけですよね。

K:そういう両面があるっていうことがどちらかを選ぶのではなくて、両面があるっていうことはやっぱ真実なんだっていう…。だから私の中にある『女神たちのパン』のあの真面 目な方の子とあの踊ってる子と、それが両方存在していていいんだっていう。そういうものだったんだと思う。

G:そういう両面性はもしかして河瀬さんの作品の中に出てくるいくつかの時間に関係しているんじゃないかと思うんです。『かたつもり』を見るとそれとも『萌の朱雀』もそうなんですけど、顕著に出てくるのはそういう自然の時間、その流れ。自然の中の特に回帰的、円還的な時間の流れというような時間もありながら、そういうぐるぐる回ることを止めたい、それともこれはいつか止まってしまうというもう1つの時間があり、両方とも作品の中に存在している気がしますけどね。

K:ぐるぐる回るっていうか、続いていくっていうかずーっとこう流れているっていうものを私というその瞬間に止めておきたいっていう思いと、ずっと繋げていきたいっていうそういう思いが2つある。

G:『白い月』では、それも反復が1つのテーマになっているわけなんですけど、最後のナレーションでは奈良が昔から何も変わってない。でも確かに反復が終わって、主人公が死んで何かが変わったんじゃないか、だからそういう両面 性があるわけなんですけど。

K:まなざしが1個じゃないっていう感じ。彼が死んだっていう事実はこの同じ地平の中で起こったことなんだけど、そのまなざしがふっと上がって人類を見た場合っていうかね、は続いていくんだっていうような。まなざしをふっと上げるっていうのが、特徴かもしれないですね。

G:というと『萌の朱雀』の方は、そういう上からの朱雀(山の神様)のまなざしの方が強いっていう作品でしょうね。

K:そうですね。

G:でも『火垂(ほたる)』(2000)に関しては、もしかしてそれに対する抵抗もでてきているんじゃないかというふうに感じたんです。もちろんその両方の時間はある程度でてくるわけなんですが、たとえば陶芸家の方は、鎖のような繋がり、特に彼の祖父との繋がりがすごく重要になる。それでせっかく窯を作るわけなんですけど、それと同時に繋がりを切る、そして窯を壊すっていうこともすごく重要な側面 があるわけなんですけど、それについてちょっと語ってください。

K:なくなるんだったら自分の手でなくそう。ある種我がままなんだけど、エゴっていうか、窯をこわすことで降りかかってくる困難を受けていって、乗り越えていこうというふうに考えるんですね。せやから人間の生き様そのものを描きたいから、いつも。何かが終わってハッピーエンド、何かを守ってハッピーエンドじゃないでしょう?人の人生って。何かをなくして、それを乗り越えてやっていくことの方が真実。自分でそれをなくして、その後また作り上げていくっていう、そうですね、相反してるんだけど。だからたぶん映画はこうだとかドラマはこうだとか決めつけて見ている人たちにとってはなんかふらふらすると思います。「なんで壊したかったの?」とか「守りたかったんじゃないの?」とか、感情がばらばらになるように思うかもしれない。

G:だから作品もばらばらになったっていう感じがしないでもないんです。つまりある程度2つの違う世界が存在している。陶芸家の伝統的な芸術の世界、そしてストリッパーの。最後の方では彼女は1つの伝統を受け継いで、着物姿で、ある程度日本的に踊るわけなんですけど、そこまではけっこうモダンな都市世界の裏の世界の側面 もあるわけなんですけど。そういう2つの世界がぶつかりながら一緒になって、解決があるのか?という問題がでてくるわけなんですけど。

K:解決がなかった(笑)。『火垂』はねえ、なかったし、ないんだろうなということで完結した。特に私、奈良でしょ? 奈良は開発が入っていてすごい古いそういう伝統の家屋や何かが、つぶれて新しいマンションになったりとかしている。だけどその状況を保存するだけでも、これからの現代の進化を考えたら無理ですよね。保存したらそこには生活がなくなるからね。生活あってこその保存だと思うし、伝統だと思うんだけど。そういうふうに壊れていくものを見つめていくこと、何かよそのものが入ってきて融合していくようなものを『火垂』の中で表現している。

G:その点に関しては僕は『萌の朱雀』より、現代の日本を複雑に撮ってるという感じがしました。『萌の朱雀』に対しては確かに現実の問題を取り上げてるし、すごくきれいに撮ってるというのがあるんですけど、どうしても1つ批判が出てくるのは、それは何か昔からの日本的な自然との一体とか、日本の田舎の伝統的な共同体とかを出している。そしてそれは海外の人に喜ばれるような世界、という批判はどうしてもでてくるわけなんですが、『火垂』はそれに対しての答えが出るんじゃないかと。

K:ロカルノ映画祭でヨーロッパ国際芸術映画連盟賞を貰って、あれは自国の文化を突き詰めて表現している作品が、特にアジアのものとかだとヨーロッパで紹介される機会が少ないんで与えられる賞みたいなんです。そういう意味だと『萌の朱雀』はそんな賞貰ってないんだけど『火垂』はそれを貰ってるっていうのは、ある意味本当の現代日本を描いているというのが評価されたのかなというのがあって。特に奈良で伝統行事を入れてるっていうとこもあるんですけど、主人公あやことかのあり様っていうのは、今の日本の若者が抱えているなんかそういうところにあるから…。『萌の朱雀』の大ファンとかいう人にとってみればモザイク入ってるし…、っていうのでちょっと裏切られた感があるのかもしれないんですけど、私としては同じことを描いたつもりなんですよね。人間と人間のつながり、そこにおける自然と生活の関連とか共存とか描いているつもりなんです。

G:僕は『萌の朱雀』を拝見してる時に思ったことは、そこまでは個人で作品を撮ってきた河瀬さんが大きなスタッフと一緒に作るのはどのように違うのかな、またそういう違った状況は河瀬さんのスタイルにどういうふうに影響を与えたのでしょうか。

K:だんだんわかってきたというか、経験を積んでやれてきていると思うのは、『萌の朱雀』でも必死で、自分が弱かったらあかんと。そういうすごい肩に力が入った態度でおったんですよ。でも『火垂』はある程度、こういう弱みを見せても一緒に考えてやっていこうよっていうようなところでスタッフとコミュニケーションを取ってやっていった。『火垂』の場合、1年間みんなを拘束して撮った作品だからやっぱりこう中弛みだったりとか、意見を統一するのが、やっぱ1年間共通 の思いを持たせるのが、まだまだできなかった…。そうだったんですけど。それを次にもっともっと活かしていきたいなあというふうに…次のことを考えている(笑)んです。

G:『火垂』を見ると、たぶん「この主人公は何かの形で河瀬さんではないか?」と思う人がいると思いますが、そういうつもりで作ったんでしょうか?

K:いや、そういうつもりで作ってない(笑)。結果的にそうなったのかもしれないけど、でもプライベートフィルムだともちろん思ってないし、出資者がいて、そういう高額なお金でスタッフの中で作ってるんで、作品を観客に提示するっていうことをね、考えて作ってるんです。でも結果 的に編集だとか音楽だとか撮影、カメラワークも自分でやってるっていうところがあって、その辺がその初期の『につつまれて』『かたつもり』の雰囲気を『火垂』に醸し出してる由縁じゃないかなとは思うんですが、なんかそこでの私というものの力強さ、映像に閉じ込めた強さとか、そういうものが人々に伝わってる部分はあると思うんです。作品世界として、じゃあ人がどういうふうに感じるかってことですよね?あやこが何を思ってここまで来たのか、大司(あやこの恋人)が何を思ったとか。あやこに私を見たっていう人はやっぱりいるんです。大分いるんですけど、私は完成した時、女性に共感されるんだろうなって。私のような女性。私のような女性って言うとおかしいんですけど、なんかこう自分っていうのがどこか欠落しているような女性に…と思ってたんですけど、男の人が「すっごいいい」っていう人が多くて。それはなんやろと思う。びっくりしてるんです。その主人公が私に見えたっていう人よりも、男の人で『火垂』に感動したっていう人の方が多くて。なんでやろ、あういう女の人と付き合ってきた人かな?(笑)なんか自分の弱さ?男の人ですよ、自分の弱さっていうものを強さに変えるっていうような所で、共感しているのか。

G:日本だけじゃなくて海外においてもパーソナルフィルムが流行しているんですが、アメリカとかイギリスとかをみると、自分を撮ることは政治的と言うまででもないにしても、少なくとも自分の社会におけるアイデンティティを1つの政治的な側面 として取り上げる方法となってるわけなんですね。でも河瀬さんの場合は一切そういう社会とかを除くわけですけれども、特に海外にもよく行かれますが、そういうパーソナルフィルムの概念にぶつかることが多いんじゃないかと。少なくても女性監督が少ない日本から女性監督が出てきて、「さあフェミニズムについて話してください」とか言われるんでしょうね。

K:言われる(笑)。

G:海外の人たちとの話し合いの中で、そういう自分についてのパーソナルとのギャップについてはどう考えてるんでしょうかね?

K:ロカルノでもよく聞かれて、「日本では女性監督はどうして出てこないんだ」っていうことをいっぱい言われたんだけど、「私はあんまりよく分からないから」(笑)ってちょっと逃げてたんです。ただまあそういうふうに言われた時に、女性という性は私に備わった何かであって別 にその問題として問うていくような部分では敢えてない、私にとっては。っていうことを言うと納得するような顔してはるんですけど、あんまりしてないかもしれないんですよね。社会問題にしたりとか、そういうことをちょっと言ってあげると喜んだりとかするんで、「まあ日本の映画業界の中で、すごい大御所の人達っていう中ではすごい封建的なものがあるよお」とか言うと、「うーん、そうねー」とか(笑)、納得してますけど、私はそれを問題にする以前に自分というものが、問題にされていた方がいいと思う。

G:それに対する反論は、自分は結局その社会の中で作られたものです。だからどういうふうに社会があなたを作ったかという反論が出てくるわけなんですけども。

K:そういうことって映画の作り手が別に考えなくってもいいですよね。本来、社会にどういう影響を与えるかとか何だとかいうことがまずあって作っても、あんまり意味がないような、私はそういうふうに思うんですよね。パーソナルなその部分をさらけ出したように見えているんだけれど、そういう部分で物言ってた方が実は面 白いんじゃないかなと。興味があるんではないかなと、思っているんで。そのフェミニズムのこと言われた時には右から左に流すようにしています。(笑)わかりませんって言ってるんです。「女だからこれは作れた」じゃなくて「これを作ったのは女性なんだ」と思ってた方がいいですよね。だからそれだけの女だから男だからの声で評価されるものを作ったらいいかな(笑)って思うんですけどね。

G:パーソナルなフィルムを撮っていた河瀬さんが、今そういう大きい会社が出資しているいわゆる商業映画を撮る場合に、パーソナルな面 をどうやって取り入れるか、それともどうやって自分との映画の関わり合いを作るか、これは大きな問題でしょう?

K:『火垂』はまだ、ちょっと自分でも語れない。あまりにも自分にとってまだまだ身近で手放せなくて、手放したつもりでもまだこう覆い被さってくる事柄で、整理できてない部分があって。だから見て貰った人に育ててもらって、返してもらえれば有難いなあと。ただロカルノでの経験の中で、なんか次の題材がふつふつと沸いてきて、今回のそのパーソナルな部分っていうのをより突き詰めるのと同時にもっとそれが解放していくような、もっともっとね…解放していくようなものを作りたいなあと思ったんです。ある意味、まあ『火垂』を解放しているというふうに見える部分もあるんですが、だけどある人が見れば完全に閉ざされてると見るかもしれないですよね。その要素を少し排除して、見せていきたいなと思うんですよね。

G:そういえばプロフィールの中で現在『につつまれて』の続編を準備中というふうに書いてありますけども、そういうプロジェクトの中でパーソナルな面 を追及しながらそこから解放する、っていうことは考えてますか? 具体的にどういうプロジェクトですか?

K:『につつまれて』IIなので、さっきジェローさんが言わはったみたいに、ちょっとお母さんにアプローチしてみようかなあと思うんです。お父さんが亡くなったので、最近。で、もう不在、完全な不在ですよね。家とかしかないわけで。そこからやっぱり肉体のある肉親、母しかいないからそこにもっと向き合えるなら向き合ってみたいなあと。拒否されんやったら拒否されてもいいかなって。もうちょっと自分が何か見えてくるものがあるかもしれないなと思ってるんですよ。それとは別 に、『火垂』の方向で、また『火垂』ほどのバジェットで、スタッフで組んで撮りたいなあと思ってるものがもう1個のこととしてある。

G:これは最後の質問にしますけど、河瀬さんのもう1つの面白い側面は割と早い段階から、組画(くみえ)という組織を作って、つまりいつも自分の作品を作りながらも、そういう組織的な問題を考え、製作の土台とかを考えてるんですけれども、組画のこととこれから自分の組織的な土台について、ちょっと話していただきたいと思うんですけどね。

K:組画はもうずっと残していきたい組織というのかなあ。私がこれまで歩んできた製作活動の中で、やっぱり自分が1人で最初は作ってきたんですけど、その状況というのはやっぱり困難なわけですよ。それが自分が組画というものを作って、そこに集まってきてくれた人たちと何かを小さいんだけどやっていく作業の中で、自分がすごく見えてきたものっていうのがあったから。小さくてもいいから、特に関西だし、作れる土壌を与える、なんて言うとえらそうなんですけど、作りたい人はここに来れば何かが広がるというか、見つけられるみたいなそういう場所を確保したいなっていうのがあって。だから今、関西にVTRの編集機(VHS)やベータカムのビデオデッキとかがあって、あとフィルムの編集機があって、それは16も8ミリもあって。それでこれまでは多少お金をもらって機材や部屋を貸したりとかしてたんですよ。でもこれからは考えてるのは、そういうのを解放してね、なんか組画という名前をね、どこかで感じてもらえるだけで、そこからいろんな人たちがいっぱいこう、雑多な感じなんだけども何かを作っていってもらえたら一番いいなあと思ったん。なかなかこれまで結果 が出なかったんですけど、最近組画に関係したり、私が教えてた子たちが、関西でちっちゃいんだけど上映会とか開いたりして。自分の作品をデジカメ、DVが出てきたから撮りやすくなってやってるんですよね。そういうのにちょこっと顔見せたりすると、彼らはバイトしながらもやってたりとかするから。やっぱり作らないと作れない場所に行っちゃうから、どんどん作り続けてほしいと思う。もう1個は、海外とのつながりを日本の若い作家にもっともっと持って欲しいなと思った。海外って意識の中ですごい遠いんですよ。だけど行って、言葉の問題さえクリアすれば、みんな同じ問題を抱えてたりするからね。特に島国日本が、隔離されてるわって。ヨーロッパやったら、いっぱいこう国境が陸の上にあるからすごいコミュニケーション取ってる感じがしたんですよ。それをもっともっと日本の作家にして欲しいし、なんか私が代表とか(笑)、言われるのもなんか違う感じがする。みんなもっともっとすごいんじゃないかと思うんだけど。組画の状況はそんな感じだなあ。私自身の海外との関わりとかは、私が日本という文化に根差すものを撮り続けるのは確かだとは思うんだけど、だけどヨーロッパとか外国の方とも共同製作っていうのがこれから現実になっていくんじゃないかな。考えてることが一緒のそういう共有感っていうのは、日本人同士だからあるわけじゃなくて人間として、なんかそこに共通 するものがあれば作っていけるんじゃないかなと思っています。

 


アーロン・ジェロー Aaron Gerow


『Documentary Box』の元編集者であり、現在横浜国立大学留学生センター助教授。研究テーマは日本映画史における戦前と現在の日本映画で、最近は北野武、青山真治や三池崇史などの研究を内外に発表。1990年代の日本映画に関する書籍を執筆中。

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