リアルを演出する:ビッグ・ブラザー時代のファクチュアルなテレビ番組
リチャード・キルボーン 著/マンチェスター:マンチェスター大学プレス/2003年/英語
Richard Kilborn, Staging the Real; Factual TV Programming in the Age of Big Brother
Manchester: Manchester University Press, 2003, ISBN: 0-7190-5682-9
評者:山本アン
衝撃度でその成功が決まるリアリティ・テレビというジャンルを本書では著しく公平に扱っている。過去10年間、ウイルスのように番組表に蔓延してきたリアリティ・テレビについての分析は近年多いが、正統派ドキュメンタリーの将来像を意欲的に描く本著者の研究は際立っている。著者は過去数十年間におけるテレビ番組の変容と命運を共にしてきたドキュメンタリーをイギリス中心に論じる。多くの論者はリアリティ・テレビと正統派ドキュメンタリーを明確に区別するが、著者は“ファクチュアルな(事実を前提とした)テレビ番組”という双方を含む広義語を使って、リアリティ・テレビが生み出した障害と新たな道に光をあてるべくドキュメンタリーの根源的問いに挑む。
1章と2章は急激に進む商業化、視聴者の細分化、そしてインタラクティブや録画など急増する革新的な技術に目を向けてリアリティ・テレビの驚異的成長の要因を探る。これらの放送環境の変化は正統派ドキュメンタリー製作者には苦境だ。かつて公共放送相手に安定した仕事をしていたドキュメンタリー製作者は、今や大手テレビ局とケーブル、衛星、デジタル・チャンネルなどの後発組放送局とで分割された市場を相手にしなければならない。双方共に高視聴率を追求し、単なるエンターテインメントに終わらせないといった理想を目指すようなリスクを伴う番組よりも、確実に視聴者を満足させる番組を作るよう製作者に圧力をかける。このような市場至上主義においては公共性や批判的な意見を提供するという理由だけではドキュメンタリー放送枠が確保できなくなり、新たに登場したファクチュアルな形式の番組と同じ土俵で放送枠を争うこととなる。
著者は正統派ドキュメンタリーが適応しなければならないメディア状況を詳細に検討し、リアリティ・テレビ番組が「ファクチュアル・エンターテインメントの斬新な形態を生み出したのか? あるいはエンターテインメントの歯車のひとつではなく文化的啓蒙を担うとされる、正統派ドキュメンタリーの死を宣告したのか?」(51頁)という問いに残りの4章を費やす。“事故と救急”系、メロドラマ的ドキュメンタリー、ゲーム式ドキュメンタリーなど様々に進化する形から、放送局が常に“リアリティという定式”を使って新たなハイブリッド型を際限なく再生産する様が見えてくる。現在噴き上がるファクチュアルなテレビ番組の発展への様々な批判を慎重に吟味して著者自身の洞察を数多く提供する。
最も鋭い批判の矛先を著者はファクチュアルなテレビ番組の商業化に向ける。新たなファクチュアルな形式が視聴者に“リアリティのすべて”を見せることをウリにする一方で、放映される内容は完全に商品化され日常のリアルな問題からはきれいに切り離され、物事の複雑さは単純明快なドラマに成り下がる。著者は「ドラマの展開に視聴者をくぎ付けにするテクニックの多くは…劇映画やテレビドラマに倣っている。そして同時に製作者はリアルであるというステータスを利用しようとしている」(65-66頁)と述べている。
同様に新しいファクチュアルな形式は、最新技術を利用して最大限のエンターテインメント性を引き出す。ポータブルになった撮影機などは対象者と製作者が未だかつて無いほどの親密さを築くことを可能にするが、搾取的で覗き趣味的な内容になってしまうことが多い。時には製作者が撮影されたくない対象者の権利を侵害したとして警察の手入れや逮捕を記録する際には関係者全員の合意を必要とする決定が米国の最高裁で下されたことに著者は注目する。
しかし慎重に実証検討して、新しいファクチュアルな形式が必ずしも文化的崩壊を意味しないと著者は示唆する。場合によっては商業化によってドキュメンタリー製作者側に視聴者の見方を意識させ、前世代のドキュメンタリーによく感じられた見下したような空気が変わることもあった。リアリティ・テレビとして大ヒットしたサバイバル番組『ビッグ・ブラザー』をみると、インタラクティブメディア、セットデザイン、と視聴者参加に関する斬新な取り組み方も見受けられる。さらには「ハイブリッド化は弱体化ではなく様々なジャンルを持続可能にし活発化させ、ファクチュアルを前提とする番組によって視聴者は、現在進行形の問題に引きつけられて新たな見方が生まれる可能性がある」(195頁)。モキュメンタリー(擬似ドキュメンタリー)やリアリティ・テレビの虚偽性を茶化すスタイルが人気であることからも、批評家が心配するように視聴者がバカになっているわけではない。本書の表紙に使われている『トゥルーマン・ショー』の一場面は、このような製作者と視聴者とのクリエイティブな相互作用の一例でもある。
近頃のリアリティ・テレビに対する多くの批判には露骨なプライバシーの侵害とつじつま合わせのリアリティの操作があり、これらの懸念を著者は巧みにドキュメンタリー映画や一般的映画の黎明期から続く議論に引き寄せる。 再現ドラマ、ドラマ装置や覗き見手法の使用は、“正統派ドキュメンタリー”のレパートリーにすでにあって、“そこにいる”実感を出すための手ぶれ映像やフレーム映像などの手法はダイレクト・シネマが最初に開拓した。また、著者はリアリティ・テレビ番組の中で虚偽の映像使用が見つかった数々の事件を通してドキュメンタリーというジャンル自体の誠実さや視聴者の信頼を裏切るという問題を浮かび上がらせる。これらの事件は典型ではなく例外だとする著者は、むしろグリアソンの“現実の創造的処置”と完全な偽物の線引きはどこにあるのかに焦点をあてる。(123-124頁)
全般的に新しいファクチュアルなテレビ番組に関するあらゆる意見を著者は考慮し、市場の圧力が招く単純化に対しては批判的であると同時に、商品化が革新を促し、様々で、かつハイブリッドな形態を創造しえると評価する。著者の分析で最も有用かつ新鮮な点は、リアリティ・テレビに関する論議と過去1世紀のドキュメンタリーの発展における核心的課題を関連づけた洞察力であろう。本書では新しいファクチュアルなテレビに対して、より広義な意味での正統派ドキュメンタリーに向かった新しい道を開くための壮大な問いの数々に挑んでいる。
――翻訳:若井真木子
山本アン Ann Yamamoto
『Documentary Box』編集者。現在、東京大学の博士課程で都市活性化におけるメディアと文化の役割について研究。
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