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北朝鮮の少年たち、中国へ逃れる
The Children of North Korea Escaped to China
Talbuk Sonyeondul Chungguk e Kada
韓国/1999/韓国語/カラー/ビデオ/35分

監督・撮影・編集・製作:ビョン・ジェソン
提供:ビョン・ジェソン
(Byun Jae-sung)
Indie story, 2fl, Hanul Bldg, 109-1, Samsung-dong, Kangnam-gu, Seoul 135-090 KOREA
Phone: 82-2-517-6069
Fax: 82-2-517-6065
E-mail: indiestory@netsgo.com


ビョン・ジェソン
Byun Jae-sung


1964年、韓国生まれ。フォト&ビデオジャーナリスト、ドキュメンタリー監督。1989-90は聯合通 信社、1990年から現在まではハンギョレ新聞の写真班に勤める。本作が初めてのドキュメンタリー作品。1999年のはじめに、延辺へ記者として訪れた時に撮影された。最近は北朝鮮難民の子どもについて報道・救援することを目的に、ヒューマン・コミュニケーション・ネットワークというインターネットのウェブページを始めた。サイトは www.echopress.net

韓国の新聞社で写真班に在籍する記者が、中国の国境を渡った北朝鮮の少年たちを取材し、ビデオ作品にまとめた。少年たちをインタビューし、日常生活を追う。家族の元に帰りたいと訴える涙ながらの話は見る者の感情に触れはするが、韓国の観光客から金を無心し、異国の都市で自立し生活していくたくましさと、売るために米をかついで北朝鮮に戻っていくしたたかさに、この題材の意外なリアリティが表れる。


【監督のことば】

北朝鮮の少年たちが食料を求めて、中国・吉林省の延辺朝鮮族自治州の国境地帯を越え、図們、延吉、そして遼寧省の瀋陽などに渡る。少年たちは路上で物乞いをし、食堂の下働きをし、廃品業者にゴミを売って生き延びている。でもいつの日か金をもって故郷に帰る夢を忘れることはない。段ボールで作った小屋の下で寝泊まりして雨をしのぐ者もいれば、大都市に金稼ぎに出る者もいる。中国と北朝鮮の国境の豆満江を越えて、少年たちが北朝鮮に戻っていく。カメラが少年たちを追えないのは残念だ。
北朝鮮の悪化する食糧難のせいで、食料を求めて中国に渡る少年の数は急増している。1989年の前半から、北朝鮮の子どもの難民は劇的に増加の一途をたどっている。同い年の仲間同士で豆満江を越え、中国の道ばたで物乞いをして日々をしのぐ。私は、イデオロギーや政治とは関係ない次元で作品制作を目指した。中国政府から人道上の援助もない子どもたちの悲惨な状況を表したかった。北朝鮮政府の公式なテレビ放送とは違う、子どもたちの真の姿を知ってもらいたかった。
主観をいれないように、映像には意図的にナレーションをつけなかった。
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