日本プログラム
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場の共鳴、記憶の谺
あらゆる「場」は、そこに生きた人々の記憶を吸い込み、その声を響かせている。2025年の日本プログラムは、過去から受け継いだ土地や空間の記憶が、現在という時をいかに生き、未来へといかに繫がれていくのかを問う5つの作品を上映する。俳優が生涯を懸けた〈キャメラの前〉という聖域。娘の復讐心を帯びたレンズは、老いという抗いがたい現実によって輝きと尊厳を蝕まれていく父の姿を捉え、その場を、父娘が初めて向き合うための舞台へと変貌させる。あるいはまた、人生の最期を迎えようとしている父と家族の思い出が堆積する〈家〉という空間。介護にあたる人々が出入りし、交わされる言葉や沈黙のすべてが、新たな人の輪を生み記憶の住処をかたちづくっていく。それは大学との対話が失われゆくなかで、なお百年の自治を継承しようと抵抗する〈学生寮〉という共同体であり、貧困と社会問題の記憶を抱えながらも若者たちがその未来を模索するアメリカの〈故郷〉、そして死者と共に生き、公害の歴史を語り継ぐ人々の営みが刻まれた〈阿賀の地〉でもある。
それぞれの「場」が持つ固有の声と響きに、私たちは耳を澄ます。ここに共通するのは、キャメラという装置の持つ力だ。レンズはそれ ぞれの「場」へと分け入り、失われた時間、去りゆく人々、変わりゆく風景のただなかで、眠ったままの、あるいは失われゆく記憶を呼び覚まし、時に残酷なまでにそれを現在へと引きずり出す。映画は記録であると同時に、関係性を変容させる触媒でもあるのだ。私たちはスクリーンを通してこの変容と発見の過程すべてに立ち会う。映画が終わる時、私たちは単に傍観するのではなく、その「場」の記憶の重みと響きを受け取った「共鳴者」となるだろう。
