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アジア千波万波


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アジア千波万波 審査員
井口奈己
タイディ

作品解説:廣本菜々子(HN)、石川泰地(IT)、馬渕愛(MA)、仲井陽子(NKY)、成田雄太(NRY)、黄木優寿(OM)、大久保りさ(OR)、鈴木彩子(SA)、若井真木子(WM)



越境する波、千のアジア、万の出会い

 映画との出会いは、“キャラクター”との一期一会だと思う。それはときに作り手自身であったり、その家族や友人、あるいは人に限らず、土地や風景、物語であったり。作品の中で異彩を放ち、迎合しないキャラクターに惹きつけられ、巻き込まれ、それらは今もって私たちの心に住みついていることに気がつく。

 今回のプログラムの輪郭を探りながら、応募作を見る選考。 そのアドバイザーを含めたチームのそれぞれが日々作品と出会い向き合う過程はマラソンか山登りのような持久戦。この過程に一番長く関わってきた、矢野さんのことに触れずにはいられない。2024年8月に亡くなった。長年、インターナショナル・コンペティションやアジア千波万波の選考に携わってきた。部門に関係なく、矢野さんは誰よりもたくさんの映画を見ていた。真剣に喜んだりがっかりしながら。過去に上映したことのある監督の作品や、何度も応募してくれている監督の作品も追い続ける。これまで見た映画の記憶や、まだ見ぬ映画との出会いは、矢野さんにとって途切れない煙草の火と同じようなものだった。われらが矢野さんは、まさしく「魅力的で一筋縄ではいかないキャ ラクター」で私たちの心、映画祭の中に住みついている。そんな矢野さん不在の映画祭は寂しい。

 選考の中で、寂しいという感情の根底には愛があるということを教えてくれる映画と出会った。ドキュメンタリー映画を見る時、カメラを人に向ける加害性ばかりを気にしてしまうが、愛ゆえに人が人にカメラを向けることもあるという当たり前のことに気づかされた。またアナログ・ノイズやホコリ、揺れなどによって、高解像度の映像をあえて不鮮明にするような作品も際立った。きれいすぎる映像は、作者の思いを乗せるには息苦しく冷淡で、むしろ滲みや歪みこそが生のぬくもりを与えるのかもしれない。

 植民地主義のもと土地や人の記憶、アイデンティティ、生活が踏みにじられる。資本主義社会が拡げる格差。強権政治は教育の機会を奪い、言葉や選択の自由を失わせる。それによって心身へのトラウマを抱えさせられるのが特に女性であるのは歴史の常である。負のスパイラルから抜けようにも抜けられない。苦しい現実を変えることは容易ではないが、作り手は曖昧と混沌を愛でながら詩を交えた映画の目で描き出す。一歩踏み出し、はみ出しつづける「抵抗」に賛同し、暗い日々に差し込む自由への一条の光を見出そうと。

 映画は時間や場所といったへだたりを軽々と越えていく。越境によって生まれ、国や地域をまたいで上映され、横断を重ねながら観客へ届けられるものだ。一方、人と人との間にあるへだたりを越えることはとても難しい。だが少なくとも、そこに眼差しを向け、橋をかけることはできる。あらゆる窮屈さをすりぬけ、時には作り手の意思を超えるようにして動き続けるカメラの眼差しは、映画を通して観客に共有され、ときには障壁が霧消するような気にもさせる。しかも映画の眼差しは、もうこの世にいない者にさえ向けられる。あちらもこちらもなくなり、混乱や屈辱、怒りや痛み、あるいは嬉しさや楽しさ、愛おしさもが直接経験したことのない人にも伝わる。映画にはそういう「越境」の力があるということを改めて認識した。

映画祭はひとつの契機にすぎないけれども、映画祭におけるさまざまな出会い、作品との出会い、人々との出会いが、より可能性を拓く契機になることを願う。(YIDFF '91公式カタログ、 矢野和之「山形国際ドキュメンタリー映画祭 '89、そして '91へ」より)

 今回の映画祭も、みなさんにとって実りある出会い、越境の場となりますように。この場を借りて、この映画祭に関わるすべての人に感謝を申し上げます。

石川泰地、黄木優寿、大久保りさ、若井真木子(アジア千波万波選考チーム)