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矢野和之 追悼

 山形国際ドキュメンタリー映画祭の立ち上げから、東京事務局長として映画祭の発展に貢献した矢野和之氏が2024年8月11日に逝去された。映画配給会社シネマトリックス[創人舎]を通して、日本で未公開の名だたる映画監督の作品やアフリカやアジアの映画を積極的に観客に届け、世界の多くの映画作家に慕われた“矢野さん”を追悼する。



   上映   

虹のアルバム(僕は怒れる黄色'94)

Why Is Yellow Middle of Rainbow? (I Am Furious Yellow)

フィリピン/1994/英語、タガログ語/カラー/16mm/175分

- 監督、脚本、製作:キドラット・タヒミック
撮影:キドラット・タヒミック、ロベルト・イニゲス、ロベルト・ヴィラヌエヴァ、トリン・T・ミンハ、クブライ・アビアド、ロイ・ジャクソン、レジーナ・トゥアゾン、キドラット・ゴットリーブ
編集:キドラット・タヒミック、カール・フグント、モーリーン・ゴスリング
録音:エド・デ・ギーア
整音:バディー・メンドーザ
音楽:ボーイ・ガロヴィロ、シャント・ヴェルドゥン
ナレーション:キドラット・ゴットリーブ
提供、配給(日本国内):シネマトリックス

「なぜ虹の真ん中は黄色なの?」という家族のおしゃべりをきっかけに、1981年より13年間にわたって、3人の息子たちの成長を追いながら、フィリピンの歴史と文化をダブらせて描き出した壮大な“ホームムービー”。七色の虹の間を、さまざまな色のスペクトルを自由に行き来し、「怒れる黄色」「好奇心の強いピンク」「植民地の赤、白、黒」「調和のとれないディズニー色」「惨憺たる灰色」「インディオ先住民の茶色」と監督のまなざしに同調するように、終わることのない世界へと入り込んでいく。1989年、1991年、1993年と、映画祭のたびに新たな部分を加えて再編集して上映され、増幅していった終わりのない映画。完成後シネマトリックスがパンドラと共同配給を担った。


- キドラット・タヒミック

1942年フィリピン、バギオ生まれ。米国で経営学を学んだ後、その学位を捨てて1972年にアーティストとなる。デビュー作『悪夢の香り』(1977)以来、特異なインディペンデント映画作家として制作を継続。1982年に国際交流基金による映画祭「南アジアの名作を求めて」に招かれてからは頻繁に日本に訪れるようになる。代表作『虹のアルバム』(1994)は、フィルムが成長するかのように上映のたびに手を加え、新しいヴァージョンをみせるというユニークなスタイルで制作し、YIDFFには1989年の第1回から1995年まで4回連続参加し、増殖する作品をパフォーマンスとともに披露した。YIDFF 2007ではインターナショナル・コンペティション審査員を務めた。現在はバギオに在住し、原住民の人々とともにワークショップをしながら1982年より取り組んできたマゼランをめぐる一大長編を2017年に『500年の航海』として完成させた。


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カワヤン・デ・ギア
« A letter to mr Yano »
(鉛筆、画用紙、12 × 16 inch、2024年)

   展示   
矢野和之メモリアル・ルーム

写真、ノート、記録動画、シネマトリックスの配給作品ポスターなどを展示。

開催期間:10月10日(金)−13日(月)
会場:旧吉池医院2階


   イベント   
グッバイ矢野さん

ありし日の矢野さんの映像をみんなで見ながら一杯!

日時:10月11日(土)19:00−21:00
会場:BOTAシアター
入場料:1,000円(ワンドリンク、冊子つき)
主催:友人一同


マブハイ! バンザイ!
矢野さん、小川さん、われらが山形映画祭の創設者、
今は天国で見守っておられるおふたりの御霊に

 親愛なるわが兄弟、矢野和之殿、あなたが拙作『虹のアルバム(僕は怒れる黄色)』を1989年第1回山形映画祭のオープニングフィルムとして招待作品の扱いをしてくださったとき、私はびっくりしました。「えっ? 私のお粗末な……BBCのスタイルとは正反対の、とりとめもない自伝映画を、ドキュメンタリー映画って……?」

 あのときあなたは私にこう確約してくださいました。「YIDFFではドキュメンタリー映画というものを再定義したい。そして、ストーリーを語るアジアの隣人たちが活躍できる場を作ることに注力しようと思う」。第1回山形映画祭に来ていた私たちアジアの監督たちは、「山形アジアドキュメンタリー声明文」というものを発表することで結束しました。その強力な触媒となったのが矢野さん、そして小川紳介氏でした。私たち10名あまりのアジアの監督たちは蔵王の温泉に浸かりながらその声明を発表することを誓い合ったのです。

 信じられますか? あれからもう36年になるのですよ。

 小川氏は、稲作農家の方々を記録するのみならず、彼の同胞であるアジアの映画監督たちが、山形の農民のように将来アジア各地にドキュメンタリーの苗を植えるよう奨励することに、誰よりも大きな情熱を持っていました。1989年の第1回山形映画祭においてあなた方が耕した豊穣な農地は、今日、大きな実を結んでいます。

 1988年にあなたがバギオ島を訪れたとき、あなたは私にこうアドバイスしてくださいました。「キドラットさん、あなたのなかなか終わらないイエロー・フィルムをひとまずこのバージョンで完成させてください。日本の観客にもあなたの収穫を早く見せてあげたいのです」。あなたは、映画監督には首を長くして待っている観客に早く作品を見せてあげる責任があるということを思い出させてくれました。そして今年、『虹のアルバム』を再び上映していただけることになりました。何とも感謝に堪えません。

 そう、あれは1989年でした! 山形国際ドキュメンタリー映画祭という赤子を取り上げたカズユキとシンスケはなんとも可笑しいペアでした。相互に補完し合うふたつのエネルギー。静かにずーっとタバコをのんでいる矢野さん、そしてとても賑やかな成田アクティビストの小川さん。ちょうど、なんとかしてフォード車を走らせようと躍起になるあのサイレント・トーキー期のお笑いコンビ、ローレル&ハーディにそっくり! これは私の記憶にすぎないのですが、アジア初のドキュメンタリー映画祭をなんとか発進させるために奔走した、どうにもこうにも止まらない、太っちょと痩せっぽちの絶妙コンビ! あれからもう36年になるんですね!

 アリガトウ! あなたが生涯を通じてアジア風スパゲッティ的ストーリーテリングを支えてくださったことに心より感謝いたします。アジアの監督たちが使っていたボレックスの16mmカメラは今ではガラパゴスだけれど、小川さんと矢野さんおふたりが示してくれたあのビジョンは、今では将来のドキュメンタリー制作のための揺るぎない基盤となっています。あなた方おふたりのカルマ、おふたりのレガシーである山形映画祭は、アジアのみならず世界中のドキュメンタリー作家たちを魅了し続けています。バンザイ! 山形国際ドキュメンタリー映画祭創設者おふたりの御霊に、マブハイ!

キドラット・タヒミック